「認めないでしょう」
「凄く優秀なフリーエージェントがいて,企業がどうしても仕事を頼みたいとする。『うちで仕事するにはこれを』と言って,会社所有PCを押しつけるというのは何か変だ。アマゾン・ドット・コムを使うためだと言って,アマゾンがパソコンを消費者に貸与しないだろう」
「フリーPCというアイデアが昔ありませんでしたか。グーグルあたりがまたやるような気もします」
「それはパソコンを個人にプレゼントしてしまうわけで,企業が会社所有PCを外部のパートナーに貸すのとは違う」


企業のTCOは下がる,個人のTCOは上がる

「ところで,気になるのは,どのくらいの頻度で,会社はパソコン購入費を支給してくれるのか,ということです。僕なんか,常に最新機種を使いたいですから」
「A君はどのくらいの頻度でパソコンを買い換えているの」
「半年ごとですね」
「……」
「親指操作のマシンとか,変わったものが出るとつい買ってしまいますし」
「…まあ,それは会社の考え次第だろう。もう保有しないのだから償却も関係ないし。そもそも会社の金に頼らなくても,自腹でどんどん買って,社業と個人用途で使えばいいのではないか」
「パソコンでずっと問題視されてきたTCO(総所有コスト)は下がりますね」
「企業にとっては劇的に下がる。というか極論すればゼロになる。なにしろパソコンを所有していないのだから。パソコン資産管理からも,ソフトのライセンス管理からも,企業は解放される。では誰が管理するのか。恐ろしい話と言ったのはここのところだ。つまり社員が保有するわけだから,そのパソコンがきちんと動くようしておく責任は社員にある。壊れたら社員が自分で何とかしなければならない」
「修理代は出ないのですか」
「色々やり方があるとガートナーのフェローは言っていた。例えば,年間一定回数のメンテナンスの権利については,会社が一括契約しておく。ただし所定回数を超えてメンテナンスしたら,そこから先は個人負担になる」
「ソフトも自分でインストールするのですか」
「当然そう。バージョンアップも自分でやるのだろうな。個人が使いたいツールを入れてもいいが,不具合が起きたら,自分でなんとかすると」
「情報漏洩の原因として問題になっているファイル転送ソフトをダウンロードしてもいいのですか」
「それはダメだろう。ただし,会社はもう関与できない。ガートナーのフェローは,『コントロールではなく,ポリシー』と繰り返していた。会社としては,パソコン利用のポリシーを作って社員に渡す。それを社員が守る。ファイル転送ソフトを入れてはいけない,と書いておくことになるだろう」
「守らない人は守らないでしょう」
「そういう社員を捜し出して警告する,社員が使うパソコンの状況をチェックする,こうした対策はTCOを増大させるし,際限がない。だから,思い切って止めてしまおうという話だ。ある意味では合理的だね」

「会社の情報を漏洩したらどうするのですか」
「建前としては,社員がポリシーを守っていれば漏れない。ガートナーのフェローに,『日本では会社のパソコンを自宅に持ち帰ることが禁止されつつある』と言ったら,真顔で『それはノートPCか』と聞かれた。『そうだ』と答えたら,真顔のまま『それなら何のためにノートPCを買うのか』と追求されてしまった。持ち帰り禁止は情報漏洩対策だと言ったら,すかさず『パソコンを持って歩くことと,データ漏洩は別の話』と指摘していた」
「あ,鋭い。データはサーバーに集中させろ,ということですね」
「アマゾン・ドット・コムやイーベイを見よ,と言っていた。世界最大企業より多くの利用者を抱えているが,セキュリティは守られている,というわけだ」
「そこで言っているセキュリティと,企業のセキュリティはかなり違うように思いますが。ただ,会社がどれほどセキュリティ対策を施しても,情報を探し出して漏らす人は漏らすでしょうからね」


自由になるが罰もある

「うかつにも,そこまで聞かなかったが,おそらく情報を漏らした社員はポリシー違反で処罰するのだと思う」
「自由を認めるが罰もあると。米国ならではのアイデアですね。個人所用だけれど会社で使うパソコンを経由して,ウイルスが持ち込まれたらどうなるのですか」
「う,それも聞かなかった。たぶん二つあって,アマゾンやイーベイに対しては,ウイルスまみれのパソコンからもアクセスがたくさんあるはず。それでも彼らはサービスを提供できている。会社も同じにできる,ということだろう。もう一つは,やはり処罰するのだろうな。日本と違って,米国企業はコンプライアンス違反に厳しい。ポルノサイトを事務所で見ていた社員は即日解雇だと聞くし。社内にウイルスを持ち込んで,サーバーをダウンさせたら,もっと厳しいのかもしれない。解雇は当然,さらに損害賠償を請求とか」
「恐ろしい話と言った意味がようやく分かりましたよ。日本で従業員所有PC時代が来たら自分が困る,ということですね」
「必要性は実感できる。今,事務所と自宅にデスクトップがあって,そのほかにノートパソコンを1台使っている。といってパソコンが3台も必要な仕事をしているわけではまったくない。ノート1台だけにしてしまって,事務所でも自宅でも外でも,原稿が書けてメールを送受信できてWebを検索できれば,それで十分。ファイル転送ソフトは使ったことがないし,今後も使わないだろう。こまめにウイルス対策ソフトを更新し,セキュリティを維持するのは手間だと思うね」
「いや,もっと低レベルの質問を僕にするじゃないですか,しかも頻繁に。出退勤管理システムにアクセスできないとか,ブラウザが動かないとか,自宅からメールが見えないとか。本来,そういうこともご自分で解決すべきなのでは」
「……自分で所有し,自分で管理するのだからね。ヘルプデスクのサービスも有償になるのだろうなあ」
「たまたま隣の席にいますから,有償ならいつでもお手伝いします」
「A君,君の原稿を書き直したり,取材先を紹介したり,企画の相談にのっているのは,一体誰なのかな」
「それは仕事でしょう。これからはパソコンの管理は仕事ではなくて,個人がすべきことになるわけです。仕事と個人の活動は重なるところもありますが,分けられるところはきちんと分けなければいけません」