日経コンピュータの6月12日号で「ミスがシステムを襲う」という特集記事を掲載した。この記事の取材・執筆に参加して,システム運用の現場における「ミス」について,改めて考えさせられた。

 もっとはっきり言えば,真剣に働いているはずなのに,みすみすミスの起きやすい現場を生み出しているのではないか,と考えたのである。

信じられないようなミスが起きている

 大きな障害につながったかどうかを別にすれば,ミスは日常的に起きている。すべてのミスをなくすことができるとは記者も考えない。

 だが業務に不可欠なシステムであれば,人為ミスが起きても,これを放置しないために,さまざまな対策を打つのが当然だろう。手順を明記したマニュアルを参照しなければ絶対に作業を進めないようする,操作画面に確認のアラートを出す,必ず複数の人間が確認してからでないと一つの作業を実施しないようにする,などだ。

 しかし,こういった対策を取っているにもかかわらず,業務で大きな影響を与えてしまうミスは少なくないのではないか。そして今現在も,こういった障害につながる深刻なミスが増えているのではないだろうか。

 実際に特集記事のなかで取り上げた事例にも,3重,4重のチェックを実行したにもかかわらず,ミスを見逃してしまい大規模なシステム障害を経験した例があった。このシステムは我々の日常生活に深くかかわる社会インフラとしての側面を持つものであり,ベンダーを含めて担当者の意識は高いのだが,ミスをチェックし切れなかった。

 さらに付け加えるなら,このシステムのミスをチェックする業務にかかわっていた当事者ですら,なぜ見逃してしまったのか理由がはっきりとは説明できなかったのだという。

 この事例を取材したのは同僚なのだが,最終的なシステム障害が起こるまでの過程を聞いて,そんなことが起きるのかという印象すら受けた。「ミスがシステムを襲う」という記事を読んだ方からも,「あの事例は興味深かった」という意見をもらったので,まんざら記者の独りよがりではないと思う。


チェック体制が機能しない

 この例に限らず,特集関連の取材を続けるなかで,運用現場で厳重なはずのチェックを経てもミスを見つけることができず,障害につながっているケースが多数見つかった。これらのケースでは,ミスをチェックするはずの現場のスタッフが,みすみすミスを見逃していたことになる。

 もっと具体的に言えば,本来なら正しいのかどうかを確認すべき点について,確認しないままに作業を終えているのである。あるいはミスが起きているのを直接,自分の目で確認しているにもかかわらず,そのまま作業を進行させているわけだ。

 現場の担当者は真剣に働いている。にもかかわらず一方でこういったことが起きてしまう。日経コンピュータの特集記事では,システムの運用現場に詳しい専門家の方たちに,こういった事態が起きる理由について議論してもらったのだが,その場でなるほどと思う話を聞いた。

 乱暴にまとめるなら,仕事を続ける中で,自分の手がけている作業がどれだけ重要なのかが少しずつ分からなくなっていくというのである。流れ作業の中の一部分を請け負っている感覚になって,作業を効率的に進めることを優先してしまうというのだ。目の前の出来事に対して,「本当にこれでよいのか」といった疑問を抱き続けることができなくなってしまうとも言えるのかもしれない。

 ミスは起きなくて当然だと思われていることが多い。起きなくて当たり前の作業に熱意を持ち続けるのが難しい面もあるだろう。また,ミスが起きる前から,どのようなトラブルが起きるのかを自覚して作業を進めるのは難しいだろう。残念ながら,実際に失敗を経験しなければ,その大変さを実感することができない面が人間にはある。

 厳重なミス防止策を実施しているように見えても,こういった人間の性質にまで気を配っている現場がどこまであるのか。特集の取材では,ここまで考えている現場は少ないのではないかという実感を受けた。だからこそ,「ミス」と「現場」を強調するために,「みすみすミスの起こりやすい運用現場にしていませんか」というタイトルを付けてみたのだ。

疑わしきは罰すが,罪を憎んで人を憎まず

 もちろん,現場が現状のままでよいわけがない。ミスそのものをなくすことが困難である以上,重要なのは,どうやって人為的なミスを障害にまでつなげないようにするかである。だが,この問題の回答を探すのも簡単ではない。すでにミスの防止策を実施しているはずの企業で,どうすればさらにミスを減らせるのかを考えなければならないからだ。

 途中から,こういった問題意識を持って,特集の取材に臨むようになったのだが,中でも慶應義塾大学の岡田有策理工学部助教授にうかがった話が興味深かった。岡田助教授は,ヒューマンエラーを研究している方で,原子力発電所や医療現場でのミスなどについても詳しい。

 岡田助教授の話はなるほどと思えるものが多かったのだが,ミスを減らすために何をすべきかという点について「疑わしきは罰す」の精神が必要だとおっしゃったのが記憶に残っている。「疑わしきは罰す」とは,どんな細かなことであれ,ミスの発生に至る要因になっていそうなものは,見逃さずに対策を打つべきだということだ。

 記者の経験でも,実際に起きたミスを分析して直接の原因を調べ,再発防止のための対策を打つ企業は多い。だが,岡田助教授によれば,ミスを減らすためには,既知のミスの再発防止だけでなく,これまでに起きていない未知のミスをどう起こさないのかが重要なのだという。

 例えばの話,ある現場で運用担当者が,マニュアルを読み間違えてミスが起きたとする。直接の対策としては,マニュアルの内容を書き換えて誤読の可能性を下げる,マニュアルは慎重に読むことを担当者に徹底させることが考えられる。
 
 しかし現実には,この現場の労働環境が厳しく,すべての担当者が疲弊しているようなこともあり得る。こういった現場では,マニュアルの内容をどう書き換えても,人為ミスの発生確率を下げることは難しいだろう。労働環境がそのままでは,マニュアルの読み間違いによるミスの再発は防げたとしても,別の思いもしなかった人為ミスが起きる可能性がある。ミスそのものの発生確率を下げるためには,労働環境の改善から考えるべきだ。

 また岡田助教授からは,「罪を憎んで人を憎まず」という趣旨の話もあった。これは,ミスの原因を調べる際に,犯人捜しのようなことをやるのはよくないということである。

 確かに人為ミスを犯した人間は存在するが,特定の個人を攻めてもミスが起きた構造を把握することは難しい。むしろ犯人捜しのようなことが行われれば,実際にはミスを起こす要因だったことについても,自分が不利になると判断して,現場が情報を提供しなくなる可能性が出てくる。正しい情報が集まらなければ,ミスの発生要因を減らすことは難しくなる。岡田助教授は,こうした問題点を指摘しているのだ。

 記者も含めて,人為ミスが起きた際には,それと思っていなくても当事者に厳しい視線を送りがちだ。こういった視線も,運用現場のミスを誘発しているものの一つだと言えるのではないだろうか。ミスを減らすためには,一罰百戒のような方針が有効だという考え方もあるだろう。だがミスが起きているのは現場である。現場を活性化できなければ,ミスを減らすことはできないのである。