「いやぁ,以前と全く変わってないですね。むしろ悪くなっているんじゃないですか」。独立系コンサルタントのA氏に「ITエンジニアやプロジェクト・マネジャ,営業担当者などITプロフェッショナルのモラル(責任感や倫理観)はいま,どのような状況にあると思うか」を尋ねたところ,A氏は記者にこう答えた。

 A氏は,銀行の情報システム部門に10数年にわたり在籍した後に独立。現在は,企業の大小を問わず情報化のコンサルティングに全国を飛び回っている。

 取材の場では,日経コンピュータが2001年4月に掲載した「IT業界のモラルハザード」と題した特集に,まず目を通してもらった。IT業界におけるモラルの崩壊ぶりをレポートしたものだ。その上で,A氏に現状についての感想を聞いたところ,出てきたのが冒頭のコメントである。

 A氏は,こう続ける。「最近では,ユーザー企業のシステム子会社にモラル欠如の例を見ることが多いですね。親会社からの案件を,ほぼそのまま協力会社に丸投げするんですよ。それだけでなく,どう見ても思いつきとしか言いようのない追加仕様を出してきたり,急に進捗報告を求めたりする。これでは,丸投げされる立場の協力会社は,たまったものではないでしょう」。

 A氏は参加プロジェクトにおいて,協力会社からシステム子会社について相談を持ちかけられるケースが多いという。「最初は一生懸命に仕事をしようと思っていた協力会社の社員も,発注側がいい加減だとだんだん投げやりになる。発注側のモラル欠如が受注側に伝染するという『負の連鎖』が発生するわけです。この状態で品質の高いシステムを作れといっても,なかなか厳しいですよ」。

 同じように証言するのは,A氏に限らない。取材を進めるうちに,ITプロフェッショナル個人,あるいは組織としての不誠実な対応やモラルに欠ける行動が,次々に浮かび上がってきた。

 一例を挙げよう。ある病院が電子カルテ・システムの開発を中堅システム・インテグレータに依頼した。同病院でシステムを担当するB氏は,インテグレータのエンジニアの一言にあぜんとした。「テスト仕様書ですか? 書いたことがありませんし,お客様にお出ししたこともありません」。

 驚いたB氏が,「では,どのようにテストするんですか?」と聞くと,エンジニアは「テスト手順を考えて実行し,その結果を目で確認します」と,平然と答えたという。B氏がさらに問いただすと,このエンジニアはテストやデータ移行,システムの本番環境への移行など,システム開発の要所での作業手順書や仕様書を,全く作成したことがなかった。

 「こちらでもテスト手順を確認したいから,仕様書を作って持ってきてほしい」。B氏がそう言うと,「ドキュメントを作るのに手間がかかります」,「プログラムを作るのが我々の仕事。そちらが優先です」などと言い訳をする始末だったという。

 このエンジニア個人に関して言えば,モラル以前に常識や知識不足が問われるべきだろう。B氏が憤るのは,こんなエンジニアを平気で客先に送り出すベンダーの姿勢だ。「当病院は要求仕様を伝え,ベンダーはその要求仕様を満たすシステムを開発する。こうした契約を結んだ以上,ベンダーはしかるべきスキルを持ったエンジニアを出す責任があるはず。ベンダーとしての誠意が感じられない」(B氏)。これも組織としてのモラルに欠けるエピソードと言えるだろう。


人手不足がモラル低下につながる可能性も

 マンションの耐震強度偽装,航空機の整備不良隠し,そして監査法人による粉飾決算への関与——。このところ,企業ないし職業人としてのモラルに欠ける事件が相次いでいる。程度の差こそあるものの,IT業界でも事情は変わらないようだ。

 それどころか,モラルの欠如を生み出す要因は,さらに増えていると見るべきかもしれない。その一つは,IT業界の人手不足だ。日経コンピュータが今年3月に実施したインテグレータやソフト開発会社に対する調査では,過去半年間でITエンジニアを十分に確保できなかった企業が7割に達した。景気が回復基調にあることを背景に,金融業を中心にシステム開発案件が増加。それがITエンジニア不足という状況を生み出している。

 組織として,エンジニアの仕事量を適切にマネジメントできればいいのだが,なかなかそうはならない。仕事のできる人にはさらに仕事が集中してしまうというのは,どの会社でもよく見られることだ。大半のITプロフェッショナルは,歯を食いしばって仕事をこなすだろうが,この状況がエンジニア個人のモチベーション(やる気)低下,ひいてはモラルの欠いた行動へとつながる可能性は否定できない。

 人手不足による仕事量の増加だけでなく,エンジニアには別のプレッシャーもかかる。本来はエンジニアを後方支援する目的で設置される「PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)」への報告など,管理業務の増加だ。

 PMOは全社レベルでプロジェクトの状況をチェックし,問題があれば改善の手だてを講じる。不採算プロジェクトの増加を食い止める上で,一定の効果を上げつつあるのは確かだ。だが,管理業務が増えすぎると,エンジニアのモチベーション低下につながりかねない。ある大手インテグレータの現役エンジニアは,PMOの役割は認めつつも「PMOへの報告事項が増え過ぎて,仕事の妨げになっている」とこぼす。モチベーションの低下が,モラルの欠如へと向かうことも十分ありうる。


いったい,現場で何が起きているのか

 もちろん,最初から意図的に不誠実な行為を働こうとするケースもまれにある。これは論外としても,現状のIT業界には「まともには,やってられない」という,モラル欠如の状況を作り出す要因が,いくつも存在する。

 記者がこれまで聞いた範囲でも,ベンダーの不誠実ぶり,モラルに欠ける対応は,目に余るものがある。背景にある要因も複雑だ。ベンダーだけでなく,発注者であるユーザー企業にも是正すべき点は多いだろう。記者が見聞きしたのは,氷山の一角に過ぎないはずだ。