「ITアーキテクト」という職種に関心のある人は少なくないだろう。

 ITアーキテクトとは,一言で表現すると「システム(アプリケーション,データ,プラットフォームなど)の“最適な構造”を設計する職種」である。業務に基づく機能要件や,処理性能をはじめとする非機能要件,コストや開発期間,将来のビジネスや技術の変化,といったさまざまな条件を考慮しつつ,情報システムのあるべき構造(ITアーキテクチャ)を考えるのが,ITアーキテクトの役目だ。

 日本では数年前まで,日本IBMなどごく一部の大手ベンダーを例外として,ITアーキテクトという職種はあまり認知されていなかった。現在でも,プロジェクト・マネジャやコンサルタントに比べると,なじみの薄い職種と言えるかもしれない。

 しかし,ここにきて,そうした状況は少しずつ変わりつつある。そのきっかけの一つとなったのは,経済産業省が2002年末に発表した「ITスキル標準(ITSS)」で,職種の一つとしてITアーキテクトを明確に定義したこと。ITSSでは11種類の職種を定義しており,ハイレベルのスキルが求められる職種の一つとしてITアーキテクトを提示している。

 さらに,情報システムが置かれた環境の変化によって,システムの構造をしっかりと設計することの重要性が改めて注目されるようになったことも大きな要因だろう。以前と違い,複数の組織や企業をまたぐシステムが増えたり,企業合併に伴う急なシステム統合が必要になったりするなど,構築するシステムに求められる条件が複雑化している。また特に昨年は,東京証券取引所をはじめ社会基盤を支えるシステムにトラブルが相次いだ。そうしたことから,全体最適の観点でシステムの構造を設計するITアーキテクトの必要性が,改めて認識されるようになったのだ。

いまだ形成されていないITアーキテクトの職種像

 このように極めて重要な職種であるにもかかわらず,まだ歴史が浅いこともあって,いまだにITアーキテクトの専門性について共通認識が形成されていない,というのが現状だ。これはIT業界や個々のIT企業にとって,人材戦略や人材育成を考えるうえで大きな問題である。

 実際,ITアーキテクトとはどんな人材か,という定義は,解釈する人によってかなりバラツキがある。筆者はさまざまなIT関係者に会ってITアーキテクトの定義を聞いてみたが,ある人は業務分析に重みを置いた説明をしたし,ある人はシステム基盤寄りの説明をした。もちろん「アーキテクチャを設計する人」という共通認識はあるが,それより深い定義の説明を求めると,途端に内容は発散するのだ。

 しかし,そもそもどんな人材なのかが明確になっていなければ,企業はITアーキテクトをどう育成し,プロジェクトの中でどんな役割を果たしてもらえばいいか道筋を示せないだろう。システムの質を左右するアーキテクチャの専門家が育たないことは,IT業界にとっても個々のIT企業にとっても深刻な問題である。また,ITアーキテクトを目指す個人にとっても,キャリア設計が難しくなる,という問題がある。

実態よりも肩書きが先行

 共通認識のなさは,そのほかの現象にも見られる。例えば,実態よりも肩書きが先行しているような雰囲気があること。つまり,ITアーキテクトという肩書きは持っているものの,スキルが伴っていないITエンジニアが増えているようなのだ。

 「ITアーキテクトが“肩書きインフレ”の代名詞になってしまうと非常に危険だ」と警告を鳴らすのが,豆蔵の山岸耕二副社長である。これまでIT業界では,対外的な印象を良くするために,あるいは人件費の単価を高めるために,プログラマをSEと呼び,SEをコンサルタントと呼ぶ傾向があった。それが職種の定義に対する誤解と混乱を引き起こしてきた。そうした現状を踏まえてのコメントだ。

 確かに,一部のIT企業ではITアーキテクトという語感の良さと,定義の曖昧さを利用して,仕事の実態に関係なく,アーキテクトという肩書きを使っている節もある。それだけに,山岸副社長の懸念には同意できる部分も大きい。

 山岸副社長は「ITアーキテクトの定義については確かに難しい点は多いが」と前置きしながらも,「いまのタイミングだからこそ,改めてITアーキテクトという人材が果たすべき役割について,業界を挙げた議論が必要だろう」と提案する。「放置していては『単なる上級SE』がITアーキテクトなのでは,と揶揄する声も出かねない」。

 実態の伴わない“ITアーキテクト”の蔓延で一番迷惑を被るのは,ユーザー企業である。結局それはITベンダー自身にも跳ね返ってくる。

ITアーキテクトの仕事は片手間か?

 問題はほかにもある。職種像が確立していないため,「本来,優秀なITアーキテクトとして能力を発揮するべき人材が,プロジェクト・マネジャとして活動せざるを得ないケースが結構多い」。プロジェクトマネジメントやEA(エンタープライズ・アーキテクチャ)など各種方法論のコンサルティングを手がけているアイ・ティ・イノベーションの林 衛(まもる)代表は,こう実態を説明する。こうしたことが起きる背景には,もちろんプロマネ不足の問題(関連記事)もあるが,やはり大きいのは「ITアーキテクトという職種や,その役割に対する理解が進んでいない」(林代表)ことだろう。

 もちろん,比較的小規模のプロジェクトや易しいプロジェクトであれば,1人がプロマネとITアーキテクトの役割を兼ねることも可能だろう。何も「1職種=1役割」と限定する必要はないし,むしろメンバーが複数の役割を機動的にこなすからこそ,プロジェクトは成功に向かう。ただ,より大規模な,より複雑なシステム構築プロジェクトでは,こうした考え方はもはや通用しない。「“設計と工法”を担うITアーキテクトと,“施工監理”を担当するプロマネの役割を一人に背負わせるというのは,高度なシステム開発が要求されている時代にそぐわない」(林代表)。

それでも議論の土台は出来上がった

 ただ,以上のように問題がきちんと問題であると認識されてきたこと自体,まずは評価して良いと思う。ITアーキテクトの人材像について,ようやく議論の土台が形成されてきた証左とも言えるからだ。

 経済産業省は3月29日,ITSSの次期版「ITSS V2」を発表した。職種の定義や説明,ドキュメントとしての読みやすさを改善したものだ。ITアーキテクトの最大の改善点は,専門分野の分類である。以前は「データベース」や「ネットワーク」など設計要素ごとに分類するという,この上なく意味のない分け方だった(そもそも複合的な要素を統合的に扱うのがITアーキテクトであるにもかかわらずだ)。今回は現役ITアーキテクトの意見を吸収し,実際の設計業務の視点で三つの専門分野に再分類してある。

 具体的にはITSSのドキュメントやこちらの記事を参照していただきたいが,各専門分野について簡単に説明しよう。「アプリケーションアーキテクチャ」アプリケーションのコンポーネントや論理データの構造に着目して,ビジネスやIT上の課題を解決するソリューションを設計する立場。「インテグレーションアーキテクチャ」は複数の情報システム間の統合や相互運用性を意識し,全体最適を図る立場。「インフラストラクチャアーキテクチャ」は,システム運用管理やセキュリティ,ネットワークなどシステム基盤を設計する立場である。

 もちろんこうしたV2におけるITアーキテクトの定義についても異論や反論はある。それぞれを定義する言葉についての定義もはっきりしないため,結局疑問が解消されないという向きもあるだろう。しかし,それでも見方を収束させる一つの材料として歓迎するべきものと私は考える。アーキテクチャの定義が定まらず落ち着かない中,三つの専門分野という形でアーキテクチャの捉え方を提示しているからだ。

 ITエンジニアに関する各種のアンケートを見ていると,将来目指すキャリアとしてITアーキテクトに注目する若手が増えつつある。ITアーキテクトという役割が求められ,存在感が増しつつある今だからこそ,ITアーキテクトという人材がどうあるべきかを議論する必要があるだろう。