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 坂村健---いわずと知れた日本を代表するコンピュータ・アーキテクト,自称「電脳建築家」である。1980年代に提唱した「TRON」プロジェクトで名を馳せ,最近はRFID(無線タグ)に関する研究の陣頭指揮を執る。RFIDを張った大根やレタスを片手に,安全な社会を実現する上でこの新技術がいかに重要かを切々と説く。同氏は,「ユビキタス」という概念を日本で広く知らしめた立役者といえるだろう。

 その坂村氏が筆を執った。書のタイトルは「グローバルスタンダードと国家戦略」(NTT出版)。同氏は,TRONあるいはRFIDの技術開発を通して常に米国の研究者と競い合ってきた。コンピュータ業界において,標準技術がどのように確立されるかを目の当たりにしながらの研究生活だった。

 市場で大きなシェアを取った技術がデファクト・スタンダードとなることもあれば,国際標準化機関における議論を経て定めた仕様がディジュール・スタンダードとして産業界の支持を集めることもある。同氏は,標準技術が確立した経緯とその後の影響に洞察を加えることにより,新しい時代の「グローバル・スタンダード」のあり方を読者に問いかけている。

標準技術と国家戦略の関係

 どの技術が世の中のスタンダードになるか---規格争いの行方は,純粋な技術論争を超えた政治的要因によって決まることが多々ある。その要因の一つに「国家戦略」がある,と同氏は語る。逆に言えば,国家戦略が弱かったところに,日本の技術が世界で花開きにくかったとの主張だ。同氏の研究生活において,政治的なパワー・ゲームに不利を被った実体験の数々を吐露している。

 これは,同氏の積年の思いを書き留めた回顧録ではなければ,研究報告書でもない。新しい時代のスタンダードとは何かについて,さまざまな視点の分析を加えた提言書である。多岐にわたる標準技術を例に,その意味をつづる。

 例えば携帯電話では,日本が独自のPDC方式にこだわったからこそ,iモードが生まれたとし,独自技術にこだわることも忘れてはならないと主張する。いわばグローバル・スタンダード時代へのアンチテーゼを投げかける。またDVDでは,中国がMPEG2を用いない独自規格の策定を手掛けた事実を引き合いに出し,先進国が生んだ規格が世界標準になるとは限らない可能性を示唆する。

 さらに,世界に先駆けてデジタル・テレビを開発した日本の技術がなぜ世界標準にならなかったのかを回想し,他国に脅威と映るほど先進技術は敬遠されると解く。日本を脅威とみた各国が日本の技術を受け入れずに,自国で別の標準技術を育てたことが国家戦略であり,その戦略があってこそスタンダードに意味が生まれるとする。

 このほかHTMLやiPod,OSなど例題は尽きない。これらの具体例を通して同氏が読者に伝えたかったメッセージとは何か。それは,グローバル・スタンダードの幻想にだまされていないかに尽きる。同氏は「グローバル・スタンダードという言葉を聞くと,思考停止になっていないか。きちんと自分で考えているか」と問いかける。

グローバル・スタンダードの持つ意味

 グローバル化時代だからこそ,グローバル・スタンダードが重要である---これは一般論として正しい。ただ,すべての技術領域でこれが真であるかといえば,必ずしもそうではない。その地域,その企業によって,グローバル・スタンダードの持つ意味は異なる。各人が意味をよく理解した上で国家戦略あるいは企業戦略を立てることが大切である。

 時として,グローバル・スタンダードから外れることが,その国あるいはその企業の利益になることもある。どの戦術を選択するか,その戦略にこそ本質があると同氏はみる。坂村氏は「グローバル・スタンダードこそがすべて」と思い込んでいる日本の体質に警鐘を鳴らす。

 なぜ日本は,グローバル・スタンダードという言葉に弱いのか。私なりに解釈すれば,これには歴史的な理由がある。1980年代,日本の産業は興隆を極めた。テレビや半導体の生産で世界を圧倒した。ところが1990年前後に世界の批判が日本に集中する。「日本はアイデアを生んでいない。世界のスタンダードの尻馬に乗り,生産技術だけで市場を勝ち得ている」と,標準化活動への創造的な貢献が少なかった日本は後ろ指を指された。

 以来,MPEG2を代表例に,日本の技術陣はグローバル・スタンダード作りに貢献することに心血を注ぐようになった。こうした過去の経緯が,日本人の中に必要以上にグローバル・スタンダードに対する崇高心を芽生えさせたのかも知れない。そして,特に日本人は「アメリカン・スタンダード=グローバル・スタンダード」とみなす傾向にある。

あり方を日本主導で世界に提案

 そういえば先日,坂村健氏が講演会でこう喝破していた。「いつまでもアメリカを気にしているのは日本が自立していない証」。この言葉に,聴衆は静まり返った。

 かつてコンピュータ業界が産業の原動力だったころ,確かに日本の産業界は米国の一挙手一投足を気にしなければならなかった。コンピュータに代わって,新たなデジタル家電という産業が台頭している今,日本主導でグローバル・スタンダードのあり方を世界に提案する時が来ている。

 書の後書きで坂村氏は,「日本をどうするのか」との問題意識を提示する。ここで,「日本がどうなるのか」との傍観者的な表現を使わないところに,自らが主体的な行為者の一人であるとの自覚がみえる。評論家的な大学研究者が多い中,同氏の腹の座り方には改めて感服する。

 坂村氏はマスコミに対する批判も忘れていない。随所に,マスコミ自身の報道が一面的で,グローバル・スタンダードの一面しか捉え切れてないとし,「及第点とはいえない」と手厳しく言い切る。確かに,マスコミ全体の論調として,米国の技術を賞賛する傾向がある。坂村氏のこの言葉は真摯に受け止めたい。

浅見 直樹=IT Pro