まだ暑さの厳しい今年の夏のこと。学生時代の友人であるH氏から,1本の電話がかかってきた。大手コンピュータ・メーカーに勤めるH氏は,これまで数々のシステム構築プロジェクトを手がけてきた。毎週土曜日はスキルアップのために研修や講習会に参加するほど,仕事や自己啓発に熱心だった。

 その彼が突然,会社を辞めるというのだ。「張りつめていた糸が切れた感じだよ」。彼は開口一番,こうつぶやいた。

 H氏の会社は昨年まで残業代が青天井だったため,報酬には満足していたようだ。だが,今年からは賃金抑制策の一環で残業代がカットされた。一部ではリストラも始まり,プロジェクトに割かれる人数が減ってきたという。

 「収入は減っているのに,仕事は増える一方なんだ」。H氏はこう続けた。「仕事がなかなか終わらず,休みの日に家で仕事を続けるのも当たり前だった。そう言えば最近,妻や子供ともほとんど話してない。ただ,目の前のノルマをこなしているだけじゃないか。オレって,何をやっているんだろう。こう考えていたら,『もう潮時じゃないかな』と思ってしまってね…」。

 結局,H氏はこの秋に会社を辞めた。IT業界を離れ,別の業界の中堅メーカーに転職した。給与は以前よりも2割ほど減ったそうだ。でも,つい最近電話で話したときの口調は,以前とはうって変わって明るく感じられた。「残業が少なくなって,家族と過ごす時間が増えたんだ。今の自分には,それが何よりだよ」。

労働環境から「ゆとり」が失われつつある

 好きな仕事に没頭して,相応の報酬を得る。一方で,生活を楽しめる時間の余裕を確保する---。IT分野で働いているかどうかに限らず,社会人であれば誰もがこんな“理想”の姿を思い浮かべるのではないだろうか。当然,記者も同じである。

 もちろん,世の中はそんなに甘くないことは誰もが分かっている。仕事のやりがい,自由な時間,報酬のすべてに満足しているITプロフェッショナルは,ほとんどいないのではないか。この中で,どれか一つでも自分の満足がいくものになっていれば御の字,と思うべきだろう。

 冒頭で友人の話を持ち出したのは,いまIT業界は「仕事のやりがい,自由な時間,報酬のうち,どれか一つ満足できればよい」どころか,「どれ一つとして満足できるものが得られない」ほど厳しい状況を迎えているように感じられるからだ。要は,労働環境から,ゆとりや余裕といったものが失われつつあるように思えてならないのだ。

 「会社の業績は回復しているのに,システム開発・運用の現場は疲弊しきってますよ。ウチの会社だけじゃない。付き合いのあるSIベンダーの社員を見ても,同じことを感じますね」。先日,システム部長が集まった会合で,ある製造業の幹部がこう漏らしていた。

 「私の若いころは,やりがいある仕事,自由な時間,そこそこの報酬のうち,どれか一つは得られたもの。だから,どんなに辛くても希望を持って仕事をしていたんです。今はどうです? 意にそぐわない仕事をやらされる,しかもあまりに忙しい,だけど給料は上がるどころか,下がっている。こんな状態が続けば,社員が疲弊していくのは当然じゃないですか」。製造業幹部は,こう続けた。

 「現場の疲弊」は調査データにも表れている。日経産業新聞が今年9月に公表したビジネスマン意識調査では,働きやすい会社の条件として「適切な労働時間」を挙げる人が昨年の19.2%から27.7%に伸びて,「高い賃金(17.6%)」を上回った。最も多いのは「仕事のやりがい」で54.7%と過半数を占めた。これはIT業界に絞った調査ではないが,「適切な労働時間」という回答が増えているのは,労働環境から「ゆとり」が無くなっている表れと見ることができよう。

頭では分かっているが,行動が伴わない

 IT業界の労働環境からゆとりが失われた一因が,企業における成果主義の浸透にあるのは間違いない。もはや単純に目の前の仕事に取り組むだけでは,将来の道は開けてこない。「この厳しい時代に,理想とするキャリアを歩みたいのであれば,市場価値の高いスキルを身につけて,自分で道を切り開いていくしかない」。人材育成コンサルタントの多くは異口同音に話す。

 確かにそうなのかもしれないが,「言うは易し,行うは難(かた)し」である。自分自身を振り返ってもそうだが,頭では分かっていても行動が伴わない。ひいては,「本当にスキルアップすれば道が開けるのか」と,自問自答してしまう。H氏のように転職したとしても,「やりがいある仕事,自由な時間,報酬」の少なくとも一つが保証されるわけではない。

 もちろん,「個人の努力だけに頼っても限界がある」(日本情報システム・ユーザー協会の細川泰秀専務理事)。例えば,自由な時間を得るために労働時間を短縮しようと一人の社員が頑張っても,チームプレーであるシステム開発での効果はほとんどない。生産性を上げるために,仕事のプロセスなどを会社全体で変えない限り,たぶん状況は変わらないだろう。さらに,「社員の労働実態や仕事への意識さえ知ろうとせず,会社が理想論を社員に押しつけるようでは,どんな施策も空回りしてしまう」と,細川専務は主張する。

 ここまでは,記者の経験を基に感じたことを挙げたにすぎない。実際のところ,ITプロフェッショナルの方々は,現状をどのように捉え,どうしていきたいと考えているのだろうか。日経コンピュータでは現在,「ITプロフェッショナルの意識調査」を実施している。現在抱えている不平・不満はもちろん,「私はこうして乗り越えた」,「将来のためにこんな努力をしている」といった,皆様のご意見をぜひお寄せいただきたい。

 調査結果は,日経コンピュータの誌面のほか,このIT Proサイトでも概要をご報告する予定である。仕事に対する意識や労働実態を明らかにし,疲弊した現場に潜む問題の解消の一助となる情報を提供するために,ぜひご協力をお願いします。