写真●元スキーノルディック複合選手の荻原次晴氏(写真:井上裕康)
写真●元スキーノルディック複合選手の荻原次晴氏(写真:井上裕康)
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 「私がオリンピックに出た動機は、兄の健司に間違われたくないという思いからだった」。

 元スキーノルディック複合選手でスポーツキャスターの荻原次晴氏は、日経BP社が2014年7月2日から4日にかけて東京・品川プリンスホテルで開催したイベント「IT Japan 2014」で「次に晴れればそれでいい」と題した講演に登壇。自身の苦い経験について語った。

 荻原氏の双子の兄の健司氏は、1992年に開かれたアルベールビルオリンピックで金メダルを獲得。一躍、時の人になった。「行きの空港では見送りに来る人などいなかったのに、金メダルを取って帰ってきたときには全キー局のアナウンサーが空港に押しかけた」(荻原氏)。

 日本中が健司氏の金メダルにフィーバーする中、荻原氏だけは複雑な思いだった。当時、東京の大学生だった荻原氏は、街に出ると声をかけられては兄の健司氏に間違われ、サインや写真を求められたからだ。最初のうちは「双子の弟です」と説明して回ったが、信じてもらえなかった。サインや写真を断っても悪態をつかれた。そんなことから、「外を出歩くことが嫌になった」(荻原氏)。

 当時の荻原氏は、兄の健司氏には「何で金メダルなんかとったんだ!」と言い、母親にも「勝手に双子に産むな」と八つ当たりしたという。