野村総合研究所 取締役 専務執行役員 コンサルティング事業担当 未来創発センター長の谷川史郎氏(写真:中根祥文)
野村総合研究所 取締役 専務執行役員 コンサルティング事業担当 未来創発センター長の谷川史郎氏(写真:中根祥文)
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 「イノベーション力を高めるには『デザイン・シンキング』の活用が重要になる」---。日経BP社が2012年7月4日から6日にかけて東京・品川プリンスホテルで開催中のイベント「IT Japan 2012」において、野村総合研究所(NRI) 取締役 専務執行役員 コンサルティング事業担当 未来創発センター長の谷川史郎氏が「『イノベーション力』を取り戻せ」との題で講演した(写真)。

 デザイン・シンキングとは、イノベーティブな事業計画を策定するためのプロセスである。顧客を観察して、顧客の必要とするものを定義して、発想から試作品を作って、実験して評価するというプロセスを早いスピードで回す。「日本ではあまり浸透していないが、顧客価値を発見する非常に優れた方法として欧米のMBAコースでは数年前から取り上げられている」という。

 デザイン・シンキングの一例としてアキレスの開発した運動靴「瞬足」を挙げた。「アキレスの方によると、運動会を観察してコーナーで転ぶ子供が多いことを発見した」。この観察結果を基に、左回りのトラックに特化した運動靴として瞬足を開発した。100万足で大ヒットとされる運動靴市場にあって、累計3000万足という非常に高い売り上げ結果を残している。

 長い時間をかけてじっくり顧客を観察し、顧客自身も気づいていないニーズを洞察する手法を「エスノグラフィー」と呼ぶ(関連記事:ロングセラーの運動靴を生んだ自己流エスノグラフィー)。デザイン・シンキングではこのエスノグラフィーと並んで「ラピッド・プロトタイピング」も重要視する。アイデアが生煮えの早期段階から試作品を作成して、有効性を確認していく。アキレスの瞬足はこうしたデザイン・シンキングのメソドロジーを実践した例といえる。

日本企業はイノベーション力に自信を失っている

 「日本の企業経営者と話していると、企業の中でイノベーションどう起こすのか真剣に考えている」。谷川氏は言う。「イノベーション」をキーワードにした書籍はリーマンショック以降急激に増え、「2012年は200点を超えそう」な状況だ。「日本企業が閉塞感を感じていて、イノベーションでそれを打破したいという期待を感じる」。

 一例がエレクトロニクス産業だ。10年前の2002年には、ソニーの株式時価総額は7兆円で米アップルの7倍だった。しかし2012年にはアップルの時価総額が50倍になったのに対し、ソニーは7分の1になった。谷川氏は「アップルの成長を支えたのはiPodやiPhone、iPadといった製品だが、これらの製品の中身は日本製が多い。技術そのものではなく使い方に差が出てきた」と分析する。

 エレクトロニクス産業と似た状況が迫っているのが自動車業界だ。今年5月、米グーグルはネバダ州において、自動運転システムを搭載した自動車を公道で走らせるライセンスを取得した。谷川氏はこの出来事を大きな契機と見ており「自動車が携帯端末のようになってしまうという危機感をメーカーの方は持っているだろう」とした。

 「日本では若者が自動車に興味を示さないと言われているが、これは欧米でも同じ。グーグルは自動車は移動手段であって、それ以上でも以下でもないと位置づけた」。自動車の定義が変わると、製品や業界としてのあり方も変わる。谷川氏は「短距離移動ならば電気自動車が向く。モーターとバッテリーの組み合わせで技術革新も早い。変化が激しい業界ではメーカーの利益が減りがち。電話会社は儲かるが端末メーカーが儲からない携帯端末のようになるかもしれない」とした。

 ここで重要となるのがサービスを提供する場面において、どのように付加価値を上げるかということ。「イノベーションを『アウトプット(付加価値)/インプット(コスト)』と表現すると、これまでの日本企業はコストを小さくすることを得意としてきた。しかし生産のグローバル化もあり、ある段階でイノベーションが止まってしまう。アウトプット(付加価値)に着眼せざるを得ない時代になっている」。

 ところが、日本企業はイノベーション力への自己評価が低い。米GEが2011年に実施した世界22カ国の企業経営幹部を対象にした調査によると「イノベーション分野で最も評価されている国」は、米国がトップ、2位がドイツ、3位が日本という評価になっている。順位は世界でも日本でも変わらないが、世界の経営幹部は45%が日本を評価するのに対し、日本企業の経営幹部が自国を評価するのは28%にとどまっている。

 谷川氏は「GEがこうした調査を公表しているのは『日本でイノベーションが起こる可能性が高い。日本企業と協業したい』ということ。しかし、日本の経営者は自信を失っているのかもしれない」という。

異質の専門家をチームに入れよう

 付加価値を高めるうえでのキーワードとして、谷川氏は「量販から質販へ」を挙げた。例えば地方で健闘しているスーパーマーケットには、顧客を名前で呼び分けられる企業がある。こうしたスーパーで得られるサービス体験は全国チェーンのスーパーとは異なる。逆に量販が負ける例として、アマゾンのようなバーチャル店舗とアップルストアのような質型店舗に押され、家電量販店大手である米ベストバイの業績が急降下していることを挙げた。

 付加価値の創造には顧客が気づいていないニーズを引き出すことが重要だ。その場合に失敗しがちなのが、企業側の想定が顧客の本当に求めるものと乖離して、検討が隘路に入り込んでしまう状況だ。それを避けるため、谷川氏は外部の専門家メンバーをチームに引き入れる重要性を語った。

 例えば生活消費財やサービスを提供する場合、理想の家族像を考える。しかし、これが誤っている場合が往々にしてある。一つの例が予備校だ。高校生の父兄が予備校に望むことは「良い大学に入学させたい」と思いがちだが、谷川氏がヒアリングした予備校経営者は「どんな世の中でも生き残れる人材に育てたい」が本当のニーズだという。

 家族についても昨今は父親の存在感が薄いことがしばしば問題視される。しかし「文化人類学者に聞いたところ、アジアの母系社会ではそれ自体は一般的なことだという」。このほか、ワーキングマザーのニーズというと「家事の自動化が求められると思いがちだが、心理学者と共にお母さんと話していると、家事が大変であることをまずは認めてもらいたいという。その承認欲求を満たしてからでないと、家事の何を自動化しても満足してもらえない」。

 同様のことは最近脚光を浴びるシニア向けサービスでもいえる。「シニアは体が動かないので、通信販売が流行りそうと思うかもしれない。しかし今のシニア層は10年前よりも歩行速度が10歳分以上速い。実は通販のニーズはあまり高くなく、買い物の楽しみや人とのコミュニケーションに価値を見いだしている」。

 独り善がりな考えに陥らないようにするため、NRIでは「NRI未来ガレージ」と呼ぶ取り組みを進めている。谷川氏は「社内のコンサルタントやエンジニアが、外部の心理学者やアーティスト、エスノグラファーを交えて議論している。そうしないと次の時代のサービスを考えられない」と説明する。運営面でも様々な工夫を凝らし、「初対面の30~40人が活発に議論できる道具立てをしたり、議事録を漫画形式でまとめたりしている」という。