2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、東北地方を中心に多くの生産拠点が被災した。福島県伊達市の富士通アイソテックもその一つだ。同社は、富士通のデスクトップパソコンやPCサーバーなどを生産している拠点。震災によって、建屋や生産ラインは大きな被害を受け、生産は完全にストップした。その後、関係者の取り組みによって、3月23日にPCサーバー、3月28日にデスクトップパソコンの生産を再開した。震災の現場で、モノ作りがどのようにして再起したのか。復興に向けた関係者の取り組みを紹介しよう。
壁が崩れ生産ラインに大きな被害。組み立て中の500台のパソコンが落下
東日本大震災が発生した3月11日14時46分。富士通アイソテックでは、約1000人の従業員が働いていた。生産ラインにいたパソコン製造課改善グループリーダーの浅野恵子氏は、「最初は完成したパソコンの箱が崩れないように数人で押さえていた。ところが、揺れがだんだん大きくなって、立っていられなくなりその場に座り込んだ」と、地震発生時の様子を振り返る。現地を襲った震度は6弱。複数回の大きな揺れを伴う地震は、3~4分間も続いたという。
揺れが大きくなるに従って、天井の配線がショートして頭上から火花が散り、蛍光灯が落下して床にガラスが飛び散った。建屋の壁も一部が崩れ、多くのガラス窓が割れた。天井にある空調ダクトは外れて落下し、給水用の配管が壊れて上から水が降り注いだ。まっすぐに伸びていた生産ラインは激しい揺れで蛇行し、組み立て中だった約1000台のパソコンの内、半数程度が床に振り落とされたという。「揺れが収まるまではとても逃げられない状態だった。気が動転して泣き出す女性従業員もいた」(パソコン製造課少量生産グループ総括リーダーの畑中芳浩氏)。