2011年度の最高益を目指して構造改革を推進していた富士通の野副州旦社長だが、病気療養のため改革の道半ばで社長および取締役の職を退くことになった。今後は相談役にとどまるものの、病気療養に専念する(関連記事)。

 渉外畑を歩み、赤字プロジェクトの撲滅などで手腕を発揮した野副氏は2008年6月に社長就任。「日本に軸足を持つ唯一のグローバルIT企業を目指す」として、国内外の組織改革を進めている最中だった。

 野副氏は大きく4つの切り口から改革を進めてきた。

 構造改革を実行する上で必要不可欠な事業の選択と集中では、不採算事業からの撤退を断行。最も大きいのは、東芝と昭和電工に譲渡したハードディスク事業である。ハードディスク事業は数百億円の赤字を抱える事業だった。そのほかにも半導体開発の富士通オートメーション、ユーディナデバイスの株式譲渡などを行った。

 事業の見直しの一方で、商品力の強化を目指した施策も打ち出した。2009年4月1日付で富士通シーメンス・コンピューターズを完全子会社化して新たに富士通テクノロジー・ソリューションズ(FTS)として発足。今後の注力製品をIAサーバーとして、FTSをその拠点として世界展開する体制を整えた。

 海外展開では北米の子会社3社を統合して富士通アメリカを設立。米マーケティング会社のアライアンス・データと10年のアウトソーシング契約を締結するなどの成果も出した。オーストラリアのITサービス企業KAZ社と同じくオーストラリアのSAPコンサル会社Supply Chain Consultingの買収なども成功させた。

 最後に、国内営業体制の強化である。2004年に野副氏が旗振り役となった国内営業改革「SBR(ソリューション・ビジネス・リストラクチャリング)」の流れを汲んだもので、2009年4月からSBRで推進した「製販一体」をさらに進め、業種別での役割分担を明確にさせた。さらに、懸案だった中堅市場における営業改革にも着手し、富士通ビジネスシステム(FJB)を完全子会社化する大ナタも振るった。

 新社長に就任した間塚道義氏はSBRを「野副と一緒に推進してきた」と振り返り、この連休前の最後に野副氏と交わした会話も中堅市場の営業改革をどうしていくかについてだった。営業畑を歩み続けてきたこともあり、「大きな変更を加えるつもりはない」としているため、新体制により野副改革に大きな見直しが加えられることはなさそうだ。