写真1●Rubyの作者まつもとゆきひろ氏(撮影:皆木優子)
写真1●Rubyの作者まつもとゆきひろ氏(撮影:皆木優子)
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写真2●チェンジビジョンの平鍋健児社長
写真2●チェンジビジョンの平鍋健児社長
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 「理不尽な環境から解き放たれることを目指した」「顧客から感謝されることに喜びを感じる」---。2009年9月15日,都内で開かれたソフトウエア開発者向けイベント「XDev2009」において,Rubyの作者まつもとゆきひろ氏(ネットワーク応用通信研究所/楽天 技術研究所フェロー/Rubyアソシエーション理事長,写真1)とチェンジビジョンの平鍋健児社長(写真2)は「幸せなITエンジニアになるための仕事術」というテーマで熱く語り合った。

 対談ではまず,それぞれの「幸せ」の定義について披露した。平鍋氏は「ITエンジニアの幸せは大きく二つある。一つは技術的に困難なことを乗り換えたときの達成感。もう一つはソフトウエアを納品してお客様に感謝されたとき」と答えた。その上で「昔はきれいに設計したり,誰も解けない問題を解いたりしたときに喜びを感じたが,今はお客様の喜びが自分の一番の喜びになった」と,自分の中での幸せの変化を打ち明けた。

 これに対してまつもと氏は「理不尽な状況に逢うと不幸せと感じる。裏返せば,理不尽な状況から解放されたとき,ITエンジニアとして幸せを感じる」と語った。その上で「自分がコントロールできない,つまり理不尽だと思うプログラミング言語やメール・ソフトは使いたくない。だから,それらを自作し続ける」と続けた。Rubyを自作したまつもと氏ならではの「幸せ」の定義といえよう。


「地方」だから見えた世界

 そんな平鍋氏とまつもと氏は,現在の生活拠点を地方に置く。平鍋氏は福井県,まつもと氏は島根県だ。カリスマITエンジニアともいえる二人が,なぜそれほど地方にこだわるのか。

 この問いに平鍋氏がまず「30歳を超えて子供ができて,ふと東京で仕事をし続ける生活に不安を覚えた」と切り出した。平鍋氏は「家族ができて,自分ひとりの幸せをあまり感じなくなった。できれば家族を含めた幸せが欲しい。(出身地である)福井県なら川で泳げるし,カブトムシも捕まえられる。子供を育てる環境には最高だった」と,福井にこだわった理由を話した。

 一方,鳥取県出身のまつもと氏は,隣の島根県に居場所を求めたという。「筑波大学を卒業後,静岡,名古屋の企業に就職した。理不尽が渦まく東京には行きたくなかった。そんなとき,知人からオープンソースの会社(Linux.or.jp)を島根県でやるので来ないかと誘われた。こんなチャンスはないと思い,家族と話し合って行くことを決断した」(まつもと氏)。

 一見,都市部の競争社会に嫌気が差して,それを避けるために地方に向かったように映る。だが,決してそうではない。むしろ二人は,東京にいたころよりも自分を高め,地方から世界に発信することを目指していた。

 例えば平鍋氏は,福井県に戻ったことがUMLモデリング・ソフトの「JUDE」を作るきっかけになったと振り返る。「地方にいると,自分の時間が増える。その時間を使って日本発のソフトであるJUDEを作った。東京から離れて不安になることもあったが,それがむしろバネになった」(平鍋氏)。世界的にも有名になったJUDE。当時在籍していた会社には,製品販売のノウハウが少なく,平鍋氏は自ら会社を立ち上げ,営業に走った。「文句を言う時間が一番もったいない。やめるという選択肢もあったが,チャンレンジするという道を選んだ」(平鍋氏)。

 一方,島根県でRubyを世に送り出したまつもと氏は,地方にいることのメリットをアピールする。「オープンソースだからビジネスはうまくいかない。島根という田舎だからビジネスがうまくいかない,という発想がある。だが逆に,誰もやらないからチャンスがある。普通に考えると不利なんだけれど,競争も少なく有利に働くこともある」(まつもと氏)。