3月10日に東京大学で開催
3月10日に東京大学で開催
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 「オバマ政権の科学技術戦略」をテーマにしたセミナーが,2009年3月10日に東京大学公共政策大学院で開催された。講師は,米ジョージ・メイソン大学のクリストファー・ヒル教授。同教授は,MIT(マサチューセッツ工科大学)やワシントン大学,米国の議会科学技術調査局(OTA),全米科学アカデミーなどの職を歴任した。25年以上にわたり科学技術戦略の実践と研究を続けており,科学技術戦略の権威とされている。なお,北朝鮮問題を担当する外交官のヒル氏とは同姓同名の別人である。

 2時間にわたる講演では,「オバマ政権が直面する課題」,「科学技術戦略の方向性」,「イノベーション・ポリシー」について語った。

オバマ政権が直面する3つの課題


 オバマ政権の課題が直面する課題としてヒル教授は,スローガン(Yes, We Can!)を実践に移すこと,米国の地位回復,経済再生のための指導力,という3点を挙げる。

 実践が難しい例の一つとして,ITを使うためのルールがうまく機能していないことを指摘した。制度も含めてシステムが古く,情報を活用できないというのである。例えば,オバマ大統領は当選以前から愛用していたスマートフォン「BlackBerry」をようやく使えるようになったのだが,今ではほとんどの人が電話番号もメール・アドレスも知らないのだという。

 米国の地位回復については日本の協力が欠かせないとすると同時に,米国では「日本に十分な注意が払われていない」と感じている人が多いことが紹介された。そんな中でオバマ大統領が麻生総理と最初に会談を持ったことは,特筆できるとした。

 指導力に関連してヒル教授は,1980年代以降の日米関係を振り返った。1980年代は日本が強くて米国が弱く,2000年以降は逆に米国が強くて日本が弱くなった。しかし,現在はどちらも弱く,目標が無い時代である。それだけに米国には強い期待がかかっているとみる。

 科学技術の方向性に関して,ブッシュ政権とオバマ政権の政策は好対照だとする。ブッシュ政権は,研究開発の対象を基礎的なものや目標がはっきりしているものに限定し,時には科学を無視したり攻撃したりすることもあったため,不満に感じている科学者が多かった。

 それに対してオバマ政権は,社会が果たすべき公的な目的に科学は不可欠だという姿勢を明確にしており,科学技術界は大歓迎しているという。その証左として,60人のノーベル賞受賞者が,オバマ氏への支持を呼びかけたことを挙げた。

説明責任を果たして多くの国民が支持


 予算面では,緊急経済対策として科学技術分野に215億ドルを計上,しかも軍事利用ではなく民生利用が中心であることを評価した。

 IT関連でも,オバマ政権には強い熱意が感じられるという。具体的な取り組みとしては,電力システムのインテリジェント化や,電気自動車向け電池の開発,エネルギー高等研究計画庁である「ARPA-E」への予算計上,ブロードバンド・インフラの整備,医療ITの構築を挙げた。中でも医療分野を取り上げ,過去の取り組みが製品に関する投資だったが,オバマ政権では「トヨタが教えてくれたように」(ヒル教授),プロセス・イノベーションに取り組もうとしていると評価した。

 ヒル教授は,オバマ政権が話題づくりにも長けているとみている。取り組みは全体的に迅速なのだが,「核廃棄物」や「ES細胞」(胚性肝細胞)問題など,議論を呼ぶ分野については特に早い決断を下している。当然,それぞれの決断には批判はあるものの,必要に応じて会見を開催,将来への危惧を示すなどして,国民の理解を取り付けているという。例えば,連邦政府によるES細胞研究への助成解禁については,非公式ながら国民の80%が支持するという結果も出ているという。

“技術ポリシー”の意味が変わった


 方向性の解説の中で興味深かったのが,「技術ポリシー」という言葉の受け止め方が,米国ではここ数年で大きく変わっていることだ。数年前までは技術ポリシーといえば,幅広い分野にわたるものだったが,最近ではITに限定される傾向がある。新政権で話題になっている「国家CTO(Chief Technology Officer)」も,企業でいう「CIO(Chief Information Officer)」的な役割を期待されているとヒル教授はみている。そこで,本来の幅広さを意識する言葉としては「イノベーション・ポリシー」,国家の方向性を決める存在としては「Chief Innovation Officer」がふさわしいのではないかと語った。

 最後のテーマである,今後のイノベーション・ポリシーについてヒル教授は,官民の連携や,グローバル経済に対応した教育システムの必要性を訴える。イノベーション・ポリシーを立案する国の機関が2年前に無くなってしまったことを採り上げ,多くの人が残念に思っているとした。

 最後にヒル氏は書評を引用する形で,「ブッシュ政権は,テロとの戦いもあり,20世紀をひきずった最後の大統領になってしまった。オバマ氏は,8年遅れでやってきた21世紀型の新しい大統領だ。挑戦すべきことは多いが,彼ならできると考えている」と期待を込めて講演を締めくくった。

政治家と科学者の役割を問う


 ヒル教授の講演の後に「欧州側からの見解」コメントしたのが,前EC委員長科学技術顧問を務めたマイケル・ロジャース氏。政治家と科学者の在り方という視点から,いくつか面白い問いかけを行った。

 ロジャース氏は,最終的な決定を下す政治的なリーダーに対して,科学者はどう振舞うべきかという課題を提示した。ロジャース氏は,英国の首相だったウィンストン・チャーチルが「科学者はタップ(頼りにすべきときに使える存在)であるべきで,トップであってはならない」とする一方,ベルナールは「科学者はトップには立ちたくないが,自分の意見を聞いて欲しいものだ。政治家はいつ科学アドバイザを呼べばいいか知らない」という,過去の偉人の異なる2つの主張を紹介した。

 ヒル氏が採り上げたES細胞研究についてロジャース氏は,ブッシュ前大統領が支援していなかったことに関して「結論が決まっていて,それを裏付けるアドバイスを求めていたのではないか」という見解を示す。

 使用済み核廃棄物の処理場として係争が続いてきたネバダ州のユッカマウンテンについては,ブッシュ前大統領が建設に署名したのに対して,オバマ大統領は計画の撤回を明言している。ロジャース氏は「(安全を主張する)科学者なら建設を決めたはずで,これが政治決断というものだろう」とオバマ大統領の判断を評価する一方,廃棄物をどうするかという根本的な問題は解決しておらず,一つの決断をした後もリーダーシップは引き続き必要だとした。

 ブッシュ政権に対しては「決断のプロセスを明確にすべきだったが,科学者が提示した結論を盾にしてしまった」と手厳しい評価を下す。前政権に厳しい目を向けるロジャース氏だが,オバマ政権にも釘を刺した。政府の主要ポストの任命プロセスが不透明であることに加え,「イノベーションは,民間が主導するもの。政府が実績を残せたものは過去にはほとんどない」として,政権への高い支持率を背景に様々なことが政府主導で進むことに対して疑問を投げかけた。

 コメントを受けてヒル教授は,米国では政権交代によって専門家が行政者になることが日欧との大きな違いであると解説。人事権の透明性については「誰がベストであるかは,後で分かるもの」,イノベーション開拓が政府主導で進むことには「政府主導による無駄はどうしても出てしまうことで難しい問題だ」とも述べた。最後に「理系離れが心配だ」と付け加え,米国でも日本と同様の問題を抱えていることを紹介した。

 ヒル教授は,6月にも再来日し,オバマ政権の科学技術戦略をテーマに再び講演する予定である。