整備企画室ITプロジェクト推進グループの山口重夫マネジャー(左)と整備本部整備企画室の鈴鹿靖史部長(右)
整備企画室ITプロジェクト推進グループの山口重夫マネジャー(左)と整備本部整備企画室の鈴鹿靖史部長(右)
[画像のクリックで拡大表示]
システム開発部隊の入口に置いた稼働までの日数を表示していた日めくりカレンダー
システム開発部隊の入口に置いた稼働までの日数を表示していた日めくりカレンダー
[画像のクリックで拡大表示]
様々なベンダーがかかわるため、気持ちを1つにするために横断幕を設置
様々なベンダーがかかわるため、気持ちを1つにするために横断幕を設置
[画像のクリックで拡大表示]

 日本航空は11月18日、新整備業務システム「JAL Mighty」を全面稼働した。独SAP社のERP(統合基幹業務)パッケージ「R/3」をベースにした。1970年代から活用してきた機体整備管理など、約100に上る主要な業務システムをR/3に入れ替えた。今後3カ月間で細かい修正を加え、2009年1月までに運用フェーズに移行する予定だ。

 新システムの稼働によって、機体整備履歴や部品の在庫管理など、整備に必要な情報を一元管理できるようになった。これまでは各システム内にバラバラに情報を蓄積していたため、担当者は同じ情報を多重入力したり、様々なシステムから必要な情報を引き出したりしなければならなかった。

 新システムでは、約50万点ある部品をいつ購入してどの機材で使っているのか、世界中にある約150空港の倉庫にどれだけ在庫数があるのかといった情報を一元管理する。これまで国内の主要空港以外ではシステム上で部品在庫数が分からず、人手に頼っていたため効率が悪かった。整備企画室ITプロジェクト推進グループの山口重夫マネジャーは「従来はいくつものシステムから取り出して組み合わせないと得られなかった情報が、世界中の整備拠点で使用している端末で取り出せるようになった。履歴を追えるので品質管理にも役立つ」と効果に期待を寄せる。

世界10カ国からプロを招集

 このシステムの総投資額は約300億円。2010年までの中期経営計画に盛り込んだ安全性の向上に関する投資600億円のうち、半分をかける肝いりのプロジェクトだった。肝いりなのはIT投資額の大きさだけではない。実はこの整備業務に関するシステム構築プロジェクトは、同社にとって2度目の挑戦だった。

 2001年6月から「e整備プロジェクト」と呼ぶ同様のシステム構築を目指したが、システムの詳細を設計する段階で成果物が得られないまま、2003年9月に実質的にプロジェクトは頓挫した。2004年から新しくプロジェクトマネジャーを務めた整備本部整備企画室の鈴鹿靖史部長は「航空会社の整備業務の知識をもったコンサルタントがいなかった。全体の規模感をつかめなかったことに加え、ユーザーからの要望を聞きすぎてしまった」と失敗に終わった前回を振り返る。

 再び失敗するのを回避すべく、鈴鹿部長は前回の課題点をつぶすことから始めた。まず、プロジェクトの推進役となるコンサルタントを世界中から集めることにした。システム構築を発注した日本IBMには専門家がいなかったが、ほかの地域のIBMには英国航空やイベリア航空などへのシステム導入経験を持つコンサルタントがいたため、世界約10カ国から呼び寄せた。最も多い時期にはインドにいるオフショア開発のメンバーも合わせると500人を超える大規模な開発体制になっていた。「アドオン開発を260本にまで抑えられたのはコンサルタントの助言が大きかった」と話す。

 システム開発を進めていくうえでの課題はデータ移行だった。約100あるシステムの情報を統合するだけでなく、これまで紙で運用していた数万件に及ぶ情報も一元管理するからだ。この課題も、シンガポール航空に同様のシステムを導入したコンサルタントが考案したデータ移行ツールが役立った。

 データ移行やシステム開発が終盤を迎えると、今度は本番稼働に向けて入念な準備作業に取りかかった。部品が発注できなかったり、必要な整備項目が出力できないといったシステムトラブルが発生すると、最悪の場合航空機を飛ばせなくなってしまうからだ。

 鈴鹿部長が最も恐れていたのは、データ連携がうまくいかずに正しい作業指示ができなくなってしまうことだった。そこで、「ジョブカード」と呼ぶ、整備士が使用する数百もの作業指示書をすべて洗い出した。同じカードを旧システムと新システムから取り出して抜けや漏れがないか確認した。「整備指示書を承認する部門の100人が総出で1週間作業に当たった。稼働1週間前は、徹夜の状態が続いた」(鈴鹿部長)ほどだった。並行して、約6000人の整備担当者の教育にも取り組んだ。練習用サーバーを立てて新システムを構築し、イントラネット上で自習できるようにした。「講習会だけで使いこなせるようになるのか不安だという現場からの声に応えて作った。作業の空き時間を活用して練習したようだ」と山口マネジャーは振り返る。

 こうした作業に取り組んだ結果、すべての準備が前日までに整った。CIO(最高情報責任者)を務める三井宗幸ITサービス企画室長などが集まり、11月8日午後9時の最終判定会議でシステム移行を決めた。日付が変わり、翌9日0時から5時間システムを停止して新システムに切り替え、午前11時に各部門の責任者が再度集まり、業務に支障がないことを確認した。11月17日に定型レポート機能を稼働させるなどして、11月18日に全面稼働となった。

 今後は運用フェーズに移行する。鈴鹿部長は「前回の中断があったからこそアドオン開発を減らすことに現場が協力してくれたのではないかと考えている。山口マネジャーとのチームワークが良かった」と一連のプロジェクトを振り返る。2000年から開発に取り組み、鈴鹿部長が「JALで一番SAPに詳しい」と絶大な信頼を置く山口マネジャーに開発の詳細を任せたことで、関係部門との調整などシステム開発が円滑に進んだという。現在、保有機材の大半を占めるボーイング社製約160機を対象としているが、エアバス社など残りの機材についても羽田空港が拡張する2010年までも対応する計画だ。