終了後に開かれた懇親会で,参加した技術者と話し込む岩切氏
終了後に開かれた懇親会で,参加した技術者と話し込む岩切氏
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 「テクノロジのデパ地下を作りたい」。2008年4月26日に開催された「1000人スピーカ プロジェクト 第4回」の基調講演で,翔泳社の岩切晃子氏が「デブサミの作り方」と題し,自身が運営するカンファレンス「Developers Summit」(通称デブサミ)について語った。デブサミはソフトウエア開発者向けのカンファレンスの草分けであり,2003年から年に1回,開催されている。2008年4月には,テストに特化したデブサミも開催された(関連記事)。

 1000人スピーカ プロジェクトは,サイボウズ・ラボの天野仁史氏が「1000人の発表者がいれば日本のIT業界は変わる」との思いから始めたプロジェクト(関連記事)。発表したい話題がある技術者を募り,毎月1回,十数人程度の技術者が発表を行う場を設けている。天野氏はここ2年,デブサミで発表を行っており,その縁で岩切氏に1000人スピーカ プロジェクトでの基調講演を依頼したという。

 岩切氏が最初のデブサミの準備を始めたのは2002年4月。そのころはオフショア開発の大規模事例が出始めており,「日本にはエンジニアはいなくてもいいのではないか」という記事をマスコミが書くようになっていた。開発者向けの大規模なカンファレンスといえば,ベンダーが自社のサービスや製品を売り込むことを最終的な目的としたものだけで,技術を中立の立場で取り上げるカンファレンスはなかった。商用のパッケージ・ソフトのほとんどは海外製。新人教育以外で開発者に研修を行っているSIerは全体の30%以下に過ぎなかった。

 こうした状況を見て「開発者の交流と知識の共有を行うことで世の中を変えられるのではないか」と思った岩切氏が思いついたのが「祭り」だ。このとき同氏は「やるんだったら10年やろう」と決めた。祭りにはさまざまな人の協力が必要だ。「1年しかやらない祭りなら誰も協力してくれないだろうが,10年やると言えば協力してくれる人出てくるんじゃないか」と思ったのだ。

 「Summit(サミット)」という言葉には「世の中に対して影響力を持っている人で,意見が異なる人々が一同に会して話をする」という意味を込めているという。「とにかく意見の異なるテーマを盛り込み,混じり合うようにしたいと思った」(岩切氏)。デブサミの参考にしたのが,1998年に米サンフランシスコで開催されたVisual Basic関連のカンファレンス「VBITS」に参加したときの経験だ。現地では,同じ時期にJava関連のカンファレンス「JavaOne」が開かれていた。米Microsoftは独占禁止法の関係でJavaOneには参加しておらず,街中が大統領選挙のように「どちらの陣営につくか」と盛り上がっていたという。

 岩切氏には「人はメディアだ」という信念がある。「誰にでもその人にしか言えない言葉がある。会社やブログ,コミュニティで活躍している人,デブサミでで話す言葉を持っている人に発表してもらいたい」。そうした発表者を見つけるために,約50団体のコミュニティから発表者を推薦してもらったり,さまざまな分野の有識者からなるコンテンツ委員会に発表者の選定を依頼している。「翔泳社だけの祭りにはしたくない」との考えからだ。

 目指しているのは「テクノロジのデパ地下」だという。参加者に,普段使っているのとは違うテクノロジを味わってもらい,まず入口として興味を持ってもらうのだ。岩切氏はこのことを「すべての人にとってアウェイでありたい」という言葉でも表現した。「よく『デブサミはアウェイだ』と言われるが,全員アウェイでいいと思う。アウェイで得たことを,ホームに持って帰ってもらう場所にしたい」と同氏は語る。

 岩切氏の「最終的な野望」は,デブサミを通して世の中を変えることである。「デブサミの参加者がCIOやCTOになれば,正しい目的の経営が行われるようになり,世の中が変わると思っている」(同氏)。また,テクノロジからビジネス・モデルを作る人や,日本発の世界一のソフトウエアにも出てきてほしいという。

 来年のデブサミは,2009年2月12日と13日に開催される。岩切氏の講演終了後,天野氏は「1000人スピーカ プロジェクトの枠をぜひ作ってほしい」と提案。岩切氏はその場で了承し,2009年のデブサミでの発表が決定した。