「日本のものづくり(設計/開発/製造)のプロセスがグローバル市場でそのまま通用するわけではない。国ごとの文化の違いを考慮しなければ競争で優位には立てない」---。BRICs(ブリックス)などのグローバル市場で圧倒的な強さを誇る韓国の製造業。この強さの理由を,かつて韓国のサムスン電子(三星電子)で常務を務めたこともある吉川良三氏が,IT Japan 2007の講演で説明した。

 氏は現在,東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員として,地域や文化による産業の違いを「産業地政学」と命名し,研究している。以下は,氏の講演内容である。



かつて韓国のサムスン電子(三星電子)で常務を務め,現在は東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員の吉川良三氏
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 ものづくりの能力には,大きく2つある。(1)1つは,既存の技術を組み合わせる能力であり,これをインクリメンタル・イノベーションと呼ぶ。(2)もう1つは,新しい科学理論をベースにした技術や異分野の知識を融合させて新しいことを起こす力だ。これをラディカル・イノベーションと呼ぶ。

 日本は新しいものを生み出す能力が長けているが,果たしてこうしたイノベーションの追求(ラディカル・イノベーションの追求)が競争優位性を生むのだろうか。私は,はなはだ疑問である。何故なら,イノベーションなどまったく無い韓国のサムスン電子(三星電子)は,営業利益率が2桁に達する,もの凄い優良企業だからだ。

 韓国と日本の文化はほとんど同じだと考えている人が多いとは思うが,実は100%異なっている。例えば,韓国は,儒教の道徳としての「理」(ロゴス,論理の世界)と,「気」(パトス,感情の世界)を明確に分ける国民である。道徳上,理は気よりも偉いことになっている。また,日本は集団主義であり手柄も責任もグループで分け合うが,韓国は個人主義であり,手柄も責任も個人のものなのである。

表1●韓国人の思考と行動
理は普遍的な理性。理の世界では礼儀正しさや論理的であることを好む。気は感情。気の世界では人間味や人情を好む。儒教は朱子学。韓国人の道徳とは理のことであり,理の世界では富と権力を求める。
  儒教 傲気 神風
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 アジア通貨危機によって韓国がIMF(国際通貨基金)の融資を受けた1997年まで,サムスン電子は日本企業の真似をするだけの企業だった。ところが,IMF危機の時に「日本からはもう学ぶものは無い」と判断し,日本の真似から脱却した。ここで重要になる議論が,国際化とグローバル化の差異である。

 国際化というのは,ただ単に賃金の安い国に進出し,自国と同じ開発プロセスを行う,というものだ。生産拠点を海外に移し,研究開発部門は自国だけに置く従来型のスタイルである。

 これに対して,グローバル化というのは,それぞれの地域に合った商品と開発プロセスを,それぞれの地域に向けて適用することを指す。生産と供給と研究開発を,それぞれの国でやろうということだ。

 国際化には日本も昔から取り組んできたが,韓国では1997年に日本を追いかけることをやめ,グローバル化へと向かったのである。その結果,低迷を続ける日本とは異なり,成功を収めるようになった。実際,BRICs市場で日本製品は全滅しているが,韓国のサムスン電子やLG電子は市場を押さえている。

 製品のアーキテクチャも異なる。日本はインテグラル型(すり合わせ型)であり,韓国はモジュラ型(組み合わせ型)である。

 日本の商品開発はマーケティングから入り,まったく新しい製品を,数年から数十年のコストをかけて生み出す。この際に,部品調達メーカーとの間で部品の仕様をすり合わせて決める。こうした開発が行われている。

 一方で韓国は,市場にある製品をリバース・エンジニアリングで調べ上げ,それぞれの国に合わせた機能を決定して作り始める。他社の製品は3カ月あればキャッチ・アップ可能である。

 グローバル市場での競争力は,外から見えるものでなければならない。つまり,製品価格の安さと,業績(売上のスケールの大きさと,売上に対する利益の割合の高さ)などである。価格が安くてデザインが良くて儲かっている会社が作っていれば,それがグローバル市場でもっとも分かりやすい製品の魅力となる。

 サムスン電子の会長は,ダーウィンの進化論を経営に当てはめて,「地球上に生き残った生物は強い生物ではなくて,環境にもっとも上手く適応した生物である」と語った。その時代に適した事業構造に転換することでしか,競争を生き残る術は無いということである。

 私は,日本の1億3000万人が技術やイノベーションだけで食っていけるかどうか,はなはだ疑問である。(談)