2006年9月22日に開幕した「東京ゲームショウ」の基調講演に立った,ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の社長兼グループCEOである久多良木健氏
 11月11日に発売される「プレイステーション3」は,デジタル・エンターテインメント分野に何をもたらすのか---。ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の社長兼グループCEOである久多良木健氏は9月22日に開幕した「東京ゲームショウ」の基調講演で,PS3が実現するコンピューティングの未来像を語った。久多良木氏の夢とは,ネット上に「世界そのもの」を生み出すことだ。久多良木氏による基調講演の詳細をレポートしよう。

 久多良木氏は冒頭,PS3のゲーム・タイトル(リッジレーサー,バーチャファイター,Final Fantasyなどの最新作)のデモを見せたあと,PS3が現在のパソコンを上回る性能を持つことをアピールした。ゲーム機はリアルタイム性やレスポンス性を追求するため,最新のプロセッサやデバイスを惜しげもなく投入しており,「巨大なOSを導入することによって,リアルタイム性を失ったパソコンと一線を画するようになった」(久多良木氏)と訴える。

 ただしこのようなゲーム機の進化は,これまでの延長線上にある進化に過ぎない。久多良木氏は常々,「イノベーションの無いところに,持続的な発展はない」と語っている。PS3によってどのようなイノベーションが起こるのか。久多良木氏は,ネットワーク分野で起こり始めている様々なアイデアを引き合いに出しながら,その姿を語った。

現実の世界を表現する

 久多良木氏はコンピューティングの世界で起こっている新しいブレイク・スルーを,ネットワーク上に巨大なサーバーとデータベース,および強力な検索エンジンが登場したことだと指摘する。「これによってユーザーは,スーパー・コンピュータをネットワーク経由で,いつでも手元で利用できるようになった」。10年以上前から語られていた「ネットワーク・コンピュータ」の概念が,いよいよ現実のものとなった。このようなブレイク・スルーが,コンピュータ・エンタテインメントの分野にも波及するというのが,久多良木氏の問題意識である。

 ネットワーク・コンピューティングの分野で久多良木氏が注目しているのは,「Google Earth」に代表される,巨大な地図データベース・アプリケーションだ。久多良木氏は,このようなネット上の巨大地図データベースが,現実の世界の姿を再現する存在になると予測する。現在の地図データベースは,解像度などが低く,決して現実の世界そのものを再現してはいない。しかし久多良木氏は,「法務局のデータベースに入っているような地図データだったり,建物の図面だったり,そういったデータが,どんどんネットワーク上に蓄積されるようになるだろう」と語る。

 それだけではない。「もしかしたら,ユーザーが,自分のお茶の間だったり,学校だったり,お気に入りのレストランだったり,会社だったり,そういう自分の周りの景色のデータを,自らネットワーク上の地図データベースに『アップロード』するようになるかもしれない。今は誰もが,デジカメやデジタル・ビデオを持っている時代。そこにPS3のような高性能コンピュータがネットにつながっていれば,よりリアリティのあるデータをアップロードできる」と語る。


図●久多良木氏が語るPS3による巨大ネットワーク像
基調講演の内容を基に,編集部の想像を加えて独自に書き起こしたもの。

シミュレーション・ゲームの開発コストが下がる

 つまり,現在インターネット上で起こっている「Consumer Generated Media」(消費者作成メディア)のアプローチによって,ネット上にユーザー自身の手によって,地球が再現されるようになるというのだ。もちろん,ネット上で再現された地球こそが,PS3における新しいゲームの舞台になる。久多良木氏はこのようなイノベーションが実現することで,ゲーム開発のコストも下がる可能性があると指摘する。

 最近のシミュレーション・ゲームは,ゲームの舞台である仮想世界の構築に多額の費用がかかっている。「SCE最大のヒット・タイトルである『グランツーリスモ』でも,実際のサーキットを取材して,静止画を撮ったりして,ゲーム上のサーキットを再現していた」。一方,ゲームに登場するGTカーを再現するのには,多額のコストはかからなかったという。「GTカーは,実在する設計書からデータを起こせたからである」(久多良木氏)。

 ネット上に再現された地球があって,あらゆるゲーム開発者がこれを利用できれば,ゲームの舞台をスクラッチで構築する手間と費用を省ける。「開発のコストが下がれば,ゲーム制作はシステム開発や芸術性の追及といった,ゲームの本分に力を注げるようになる。最近のゲーム業界は,『売れそうな続編』や『手軽な遊び』に傾きがち。開発者がクリエイティブな作業に専念できるようになることで,この状況が変化する」。

 共有の概念は,データだけではないようだ。例えばネットワーク上に巨大なCellサーバーをおいて,それをPS3ユーザーで使えるようにするプランを久多良木氏は夢見ている。共有するのはサーバーだけではない。久多良木氏はグリッド・コンピューティングで難病の原因となる遺伝子の解析を実行する「Folding@Home」というプロジェクトに,PS3が参加できるようにする考えも示した。久多良木氏は「ユーザーに賛同いただければ,Cellをつないで,人類が手にしたことのない計算パワーをアルツハイマーの研究などに活かしたい。PS3はパソコンの10倍の性能があり,ゲーム産業が社会や人類に貢献できる時期が到来する」と語っている。

現実的には「ネットワークはゲーム機にかなわない」

 もっともこういった夢は,あくまでも2~10年先というスパンで見た夢であるようだ。久多良木氏は,「ゲーム機が実現しているリアルタイム性をネットワーク越しに保証するには,現在のサーバーや回線速度はまだまだひ弱」と語る。「ギガビット・イーサネットであっても,12年前の初代プレイステーションの内部バスの伝送速度にすら到達していない」。

 久多良木氏は「夢のネットワークが実現するには,まだ時間がかかる。だからこそ,PS3のゲーム機としては並はずれた,オーバースペックとも言われるようなパワーが本領を発揮する」と続ける。

 PS3では,久多良木氏が1999年(PS2の発売前)の段階で語ったプレイステーションを使ったコンテンツ配信サービス「e-distribution」が実現する。それでも「現在のネットワークでは,HDクオリティの動画の配信は不可能。BD-ROMのような大容量メディアが必要だ。これから2~3年は,ネットワークとパッケージが相互補完的になる」。

 当面はネットワークは「埋没しているクリエイターの方と,好みを見つけられないユーザーを双方向に結びつけたり,気楽なコミュニケーションを実現したりするのに使う」(久多良木氏)という。そういった機能を実現するために,PS3にはWebブラウザやハードディスクが標準で搭載されているという。PS3上のテキストや写真データは,HDMI(廉価版にも搭載されることになった)経由で大画面テレビに映し出せる。

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 久多良木氏は今回の基調講演で,コンピューティングに対する夢を強調した。廉価版PS3へのHDMIの搭載や,廉価版PS3の値下げすら,基調講演ではなくその後のQ&Aセッションで明らかにしたほどだ。その夢をどれだけ多くのユーザーと分かち合えるのか,久多良木氏の真価が問われる時期が,2カ月後にやってくる。