JISAの棚橋会長 新日鉄ソリューションズ代表取締役会長で、情報サービス産業協会(JISA)会長を務める棚橋康郎氏に、この1年あまりの活動とJISA改革への取り組みを聞いた。人材のスキルやシステムの価値を無視した「人月単価」による見積もり、後手に回る人材育成、不透明な市場、そしてこれらが引き金となってもたらされるモラル(責任感、倫理観)の欠如――。山積する問題に対して、棚橋氏は「情報サービス産業を束ねるJISA自体が変わらねば始まらない」と、改革の意義を強調した。(写真撮影:稲垣純也)

――JISA会長に就任して1年が経過しましたが、この間を振り返ってみて、成果はいかがですか。

 もともと私がJISA会長を引き受けたのは、「JISAを変えなければ」という問題意識を持っていたからです。会長に就任する直前に、前任の佐藤(雄二朗)さんに対して、「本当にJISAという組織を今後も存続させるのであれば、こういうふうに変えなきゃいけないんじゃないか」と、私の問題意識を伝えたんですよ。それがきっかけで、JISA内に専任の委員会を設置して議論が始まり、JISAの進むべき方向性をまとめたレポートを出しました(本誌注:2005年2月に発表した「新たなJISAの役割と使命について」」を参照)。

JISAからの情報発信が足りなかった

 そもそも私は、JISAという組織自体が存続することに意味はないとすら思っています。JISAという業界団体の使命は、会員企業が幸せになるためでなく、高品質で競争力のある情報システムをユーザーに提供することにあります。情報サービス産業が日本のアキレス腱にならないためにどう変わらなければいけないのかを、本当に議論できる団体でなければ、存続する意味はない。

 ただ、そういうことを議論したくても、JISAには日立製作所も富士通もNECも、日本IBMもいない。ないないづくしで何をやれるのかという見方があるのも事実です。
 しかも大きな組織ですから1年やそこらで変わるものではありません。

――JISA改革への問題意識が象徴するように、今のIT業界や情報サービス業界には、問題が山積していますね。

 そうですね、IT業界と言っても広いし、情報サービス産業全般の問題ではないにせよ、多発するシステムのトラブルや企業現場のモラル欠如も、その一つと言えます。

 原因は様々でしょうが、産業としての魅力が落ちているからではないでしょうか。業界団体としてJISAがきちんと情報を発信してこなかったことが大きいと思います。

 例えば職種にしても、他の業界や学生さんから見れば、ひたすらコーディングしているプログラマが100%で、面白くない業界に見えているかもしれません。でも実際には上級SEもいるし、コンサルタントやITアーキテクト、ある分野の技術スペシャリスト、プロジェクトマネジャなど、本当に多くの職種があります。多岐にわたって活躍できる職種があるんだよという情報発信が、これまでは足りなかった。

 もう一つ、システム作りはベンダーとユーザーの共同作業であるという認識が世の中に薄いのも、我々からの情報発信が足りなかったことの現れかと思います。例えば東京証券取引所のシステムダウンのようなトラブルが起きると、世間の論調はすべてベンダーが悪いかのようになってしまう。こうした論調が、情報サービス産業へのマイナスイメージを助長しているのではないでしょうか。

 情報システムは、発注者であるユーザーと受注者であるベンダーが、力を合わせて作っていくものです。しかし個々のベンダーからすれば、お客さんにも責任があるなんて、口が裂けても言えない。だから業界団体であるJISAが、その役割を担っていかなければいけないと思います。

情報サービス産業には「市場」がない

JISAの棚橋会長――情報サービス産業自体の構造にも、問題があるのでは?

 その通りです。例えば、情報サービス産業にとっては人材こそが資産であり、人材育成は他業種で言えば「設備投資」です。なのに人材育成に本当に投資をしてきたか、あるいは人材を大切に扱ってきたかと言われれば、反省すべきところがありますね。

 そして、人材のスキルやシステムの価値を無視した、人月単価による見積もりも、この産業特有の問題です。知的作業の成果物である情報システムの価格を決めるやり方としては、あまりに知恵がないし、ITエンジニアに対して失礼な方式ですよ。

 以前、当社内(新日鉄ソリューションズ)で「人月単価による見積もりを禁止する」と言い渡したことがあります。すると営業部隊から、「見積もりの根拠がないと顧客が不安がる」と言われた。人月単価なんて実は何の根拠もないのに、それで納得するのもどうかと思いますがね。実際に仕事をしたかどうか、どんなスキルを提供したかといったことと人月単価とは直接関係がありませんから。

――プロの仕事はたいてい時間でチャージされますからね。

 そうです。そして最大の問題は、情報サービス産業には「市場」と呼べる取引形態が存在しないことです。ベンダーが備えているシステム開発の実力とか信頼感が、ユーザー企業には分からない。ベンダーは単に規模が大きいからとか有名だからという理由で、仕事を取れてしまう。あるいは、長年の付き合いがあってユーザーがベンダーに囲い込まれてしまっている。官公庁が典型例ですが、ベンダーにとっては囲い込みが唯一の営業戦略みたいなものですよ。相対の取引はあるけれども、本当の意味での市場が存在しない。

 システムを調達する側は合理的な判断ができないから、システムを調達する能力が育たない。ベンダーにしても、規模は小さいけど本当に実力のある会社が正々堂々と商売するのが難しくなっている。やはり情報サービス産業の透明度を、もっと高くしなければだめだと思っているんです

――そうした問題に、どう取り組んでいくお考えですか。

 今挙げた問題はどれも根深いものであって、簡単に解決できるものではありません。繰り返しになりますが、やはりJISAが率先して変わっていくことが必要だと思います。

 例えば人材育成に関しては、会員企業に対してITSS(ITスキル標準)をカスタマイズせず、そのまま使うように言っています。ITSSはITエンジニアのスキルや職種を示す「共通言語」であって、情報サービス産業の透明化に向けた土台です。企業ごとのローカル言語ができてしまっては意味がありません

 ただし、ITSSはまだ策定されてから3年しか経っていません。正直言って、まだあまりできはよくない。例えば営業職一つとっても、物売り業の職種類型が基本になっている。我々みたいなシステム・インテグレータの営業職には、そのまま当てはめるのが難しいんです。だからIPA(情報処理推進機構)に要望を出して、内容を洗練させていっている最中です。

――情報サービス産業が成長していくには、業界団体であるJISA自体が活性化していく必要もあるのでは?

 ここ2~3年、JISAの会員企業は増えていますよ。1年前は707社だったのが、現在は725社です。若手が経営する会社も、ずいぶん増えたはずです。

――すると、増えた若いパワーを生かして改革を進めていく?

 そうですね。若い人たちが外野でブツブツ言ってないで、どんどん表に出てきて年寄りを追い出せばいいんですよ(笑)。

 ただ、改革というのは大多数の意見を意識してばかりでは進まない面もあります。だから本当は会員企業数は、あまり重要視していません。

 JISAの改革はまだ緒に就いたばかりです。10年、20年活動を続けてきた団体を変えるのは、容易ではありません。人材育成や人月見積もりは、この産業の縮図です。私の代だけでは改革できないかもしれません。それでも、過去のしがらみを解消し、魅力ある産業への道筋をつけることが、私の役割だと思っています。