キリンビールの荒蒔 康一郎会長
キリンビールの荒蒔 康一郎会長
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 2006年上半期に、5年ぶりにアサヒビールからビール系飲料のシェアトップを奪還したキリンビール。荒蒔康一郎会長がIT Japan 2006(主催:日経BP社)で、キリン復活までの軌跡を語った。

 荒蒔会長が社長に就任したのは、48年ぶりにアサヒビールへトップの座を明け渡した2001年。「当時はライバル会社ばかり見ていて、顧客のほうを向いていなかった」と振り返った。「こんなにうまいものが売れないはずがない」と考えて次々に商品を開発したものの、ほとんどが成功しなかったのは、あまりにメーカー・オリエンテッドになっていたからだ、という。

 その背景として、キリンは14年間にわたってシェア60%以上を確保するなど長期間にわたって恵まれた環境にあり、自分たちがやることはすべて正しいと考えていた、と分析する。その一方で、アサヒビールは顧客志向だったことを荒蒔会長は感じていたという。

 この状況を打破するためには、社員全員が顧客のほうを向かなければならない。まずは顧客との距離を縮めて声に耳を傾け、顧客が本当に望む商品を開発できるように、意識改革を行うことが必要だった。「顧客に期待させて、それに応えられる会社」を目指し、2001年11月に「新キリン宣言」としてまとめて、社員の意識改革が始まった。

 新キリン宣言の冒頭には、シェアが低下した要因として「経営者が悪い」と自ら記した。シェア低下の犯人探しをするのではなく、原点に立ち返ることが重要だというメッセージを全社員に送った。原点とは、キリンビールが経営理念に基づいて唱ってきた「お客様本位」と「品質本位」である。荒蒔会長は、これら2つが劣化していると考えていた。

 原点に戻るために、顧客の話を聞く取り組みを始めた。それまで顧客の話を聞くことは苦情処理に近い感覚があったという。例えば、味に対する顧客からの意見にも「(味を理解してもらえない)いろいろな人がいる」と捉えて否定するのではなく、真剣に聞いて商品に反映していこうとした。「お客様本位」と「品質本位」を徹底することで、顧客が望む商品づくりを目指した。顧客が望む商品作りを目指す背景には、顧客のし好の変化があった。

 象徴的な例として、若年層がビールを飲まなくなってきたことを挙げた。20代でビールが最も好きだという層は、1995年には65%だったが、2005年には48%にまで低下。好きなお酒の種類も平均2.63種類から平均3.43種類へと拡大した。「ビールだけやっていては駄目で、(商品ジャンルを拡大して)広い範囲で顧客との接点を増やさなければならなくなった」(荒蒔会長)。市場や顧客のし好の変化を基に商品開発することで、家庭の冷蔵庫の中で最も高いシェアを取れることを目指した。

 その具体例として、2001年に発売した缶チューハイの「氷結」などを挙げた。開発当時、缶チューハイのイメージは決して良くなかった。「冷蔵庫に入っていると気が滅入る」「コンビニで買うのを見られるのは恥ずかしい」といった具合。しかしながら、居酒屋では若い世代を中心に飲まれているので、潜在的な顧客はいると考えていた。

 そこで、「従来のチューハイを越えるチューハイ」をスローガンに、果実をそのまま凍らせるなど品質にこだわって新規顧客の開拓を目指した。氷結は大ヒットし、たちまちシェアトップに躍り出た。しかも、発売後2年間で氷結を購入した6割が缶チューハイを初めて購入した顧客であるなど新規開拓に成功した。これまでにデザインを5回、中身を2回変更をするなど、絶えず顧客の声を反映することでこの分野で4年連続トップシェアを確保している。

 荒蒔会長は講演の最後に、「“昔はこれで良かった”というのは衰退の第一歩だ」と指摘。「競争が激しい市場環境に対応するには、発想や行動を変えて顧客の満足度を向上させるために何をすべきかを必死になって考えていくことが重要だ」と締めくくった。