旭化成の総務部長兼広報室長の水野雄氏理事。手に持つのは、同社のブランド戦略の転換点となったテレビCM向けの人形「イヒ君」
旭化成の総務部長兼広報室長の水野雄氏理事。手に持つのは、同社のブランド戦略の転換点となったテレビCM向けの人形「イヒ君」
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3月上旬に日比谷公会堂(東京・千代田)で開催した中期経営計画の発表会。蛭田史郎社長が自ら、社員に説明。
3月上旬に日比谷公会堂(東京・千代田)で開催した中期経営計画の発表会。蛭田史郎社長が自ら、社員に説明。
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 旭化成は、蛭田史郎社長による“全国キャラバン”を終えた。1回目の地区説明会を3月10日に都内で開催し、4月下旬までに全国16拠点を行脚。蛭田社長は計4000人以上の社員を前に、「社員一人ひとりが主体的に挑戦する風土を呼び覚ましたい」と訴え続けた。根底には、「Asahi KASEI」というグループ名やグループロゴが喚起させるブランド力を海外市場で高めたいという強い思いがある。

 今回のトップキャラバンの主目的は、3月7日に発表した新中期経営計画「Growth Action−2010」の重要性を、社員に深く理解してもらうこと。中計で描いた大目標は「グローバル市場での企業価値とブランド力の向上」だった。

 国内で「旭化成」と言えば、40歳のサラリーマンをモチーフにした少しグロテスクだがユニークな人形「イヒ君」が登場するテレビCMが有名だ。印象的な「イヒ!」という言葉も耳に残る。97年4月から現在まで放映し続けてきた「イヒ!」CMのおかげで、日本での旭化成の認知度は世代を問わず飛躍的に向上。「親しみやすい」「頭が柔らかい」という企業ブランドが定着していった。

 ところが新しい中計を策定するにあたり、旭化成は既存の自社ブランドイメージに一抹の不安を覚えた。足元の業績は比較的堅調だ。対外的なイメージも悪くない。しかし、不況下で選択と集中を重視する経営を数年間続け、新規事業の創出を抑制してきたため、挑戦する風土が失われてきたからだ。もはや「親しみやすい」だけではだめで、「挑戦心」も喚起させるブランドイメージを社員に持たせるべき時期だと考えたのである。

 旭化成の売上高は日本のGDP(国内総生産)と連動する傾向が強い。日本のGDPが今後大きく成長するとは期待できないため、2割しかない海外売上比率を高めなくては、旭化成の継続的な成長は厳しい。このためグローバル展開の積極化が欠かせない。それには挑戦する風土の復活が必要なのである。

 旭化成は今後5~6月に約1000万円をかけて、企業ブランドイメージに対する内外のアンケート調査を実施する。トップキャラバンをトリガーにした新たなインターナル・ブランディング(社内向けのブランド普及活動)戦略の効果を、今後定期的に測定していくためである。

外部に頼んでライバルをベンチマーク

 そもそもインターナル・ブランディングとは、企業が目指したいブランドの姿(ブランドビジョン)を簡潔な文章や言葉、ロゴなどできちんと定義して、それらを社内に戦略的に告知、社員一人ひとりまで浸透させる活動を指す。企業理念や企業の強み、社風と合致したブランドビジョンを定義できていれば、インターナル・ブランディングは現場力の向上に有効な手法だ。全社員の仕事に対する価値のベクトルがそろうため、士気が高まりやすい。

 インターナル・ブランディングは通常、テレビCMなど社外に対するブランディング(エクスターナル・ブランディング)とセットで実施する。消費者や取引先、株主に対してブランドビジョンを大々的に公言すれば、社員はビジョンの実現に向けて気を引き締めるからだ。理想のブランドビジョンに近づく可能性が高まる。日経情報ストラテジー6月号(4月24日発売)の特集2でインターナル・ブランディングを取り上げているので、ご興味のある方は参照いただきたい。

 もっとも旭化成は、97年に「イヒ!」CMの放映を始めた当初、インターナル・ブランディング活動を実施しようという意識はほとんどなかった。繊維事業一本槍ではなく、住宅、建材、エレクトロニクス、医薬など事業の多角化にまい進してきたがゆえに付いた「いろいろやっているが、よくわからない会社」というイメージから脱却して、認知度とイメージが向上しさえすればいいと考えていた。

 ところがフタを開けてみると、「イヒ!」CMの反響は予想をはるかに超えた。CM投入量から算出した「イヒ!」という言葉の認知率のシミュレーション値は17%だったが、実際には放送開始から1カ月後の調査結果は47%にもなっていた。半年後には80%に達した。総務部長兼広報室長の水野雄氏理事によると、「学校でテレビCMが話題になったと、子供が家で嬉しそうに話す。それで元気づけられた社員がたくさんいた」(水野理事)という。

 旭化成は97年6月、社内で「イヒ!」の話題が盛り上がってきたのを見て、「イヒ!」のコンセプトを説明した冊子と、「イヒ!」という文字の3Dシールを全社員に配布した。「イヒ!」に込めた「自由闊達に議論して良いアイデアをひらめき、ダイナミックに活動する会社」というビジョンが浸透し始め、「イヒ!」CMに拒絶反応を起こしていた幹部やベテラン社員の気持ちをも動かした。ここが、明確なインターナル・ブランディング活動の始まりだった。

 その後、旭化成は社内イベントや社内報、イントラネット、そして「イヒ!」CMを通じて、社内外でのブランドイメージの継続に努めてきた。そのかいあって、97年から毎年電通に依頼している「企業イメージ調査」で、同社は高スコアを記録し続けている。

 この調査では、15歳~59歳の男性250人・女性250人の計500人に対して、「一流」「技術力」「信頼性」「スポーツ活動」「親しみやすい」などの企業イメージ、企業好感度、就職先として見たときの魅力や株式投資の魅力、企業ロゴの認知度、広告活動の良しあしなどを聞く。

 旭化成は、電通の調査におけるソニー、東レ、住友化学工業、三菱化学に対する評価をベンチマークと位置づけ、各社に対するブランドイメージも同時に調査している。ソニーはブランド戦略に優れた企業の代表例として、それ以外の3社は旭化成に業態が近いライバル企業として調査対象に加えてある。例えば2004年と2005年の調査結果を見ると、旭化成は大半の項目でライバルたちを凌駕し、ソニーに迫りつつある。

 日本経済新聞社が毎年実施する「企業イメージ調査」(大手1200社が対象)でも97年以降、東レや帝人、住友化学工業、三菱化学、三井化学を抑え、旭化成は常に50位以内をキープ。トヨタ自動車やソニーなど上位50社は消費者向け製品を扱うメーカーが大半を占めており、素材が主の旭化成は例外的な存在でもある。

 だが、旭化成は「イヒ!」CMの神通力が届かない海外ではブランド力が弱い。特に重視する中国などアジアでのブランド力を高めるべく、同社製水着のキャンペンガールとして2004年から3年連続で日本人と中国人の女性を1人ずつ選抜、グローバルブランド戦略に長けた韓国サムスンを徹底研究するなど、着々と布石は打ってきた。

 今後は「イヒ!」広告の利用は限定的に継承しつつ、新たなブランド戦略を打ち出していく。すでに昨年度から「イヒ!」CMの放映は週1回30秒に絞り込み、10代と20代の若者が目にしやすい時間帯のみ放映している。国内での採用活動を強く意識した戦略である。