写真1 神戸製鋼所 経営企画部IT企画室の林高弘室長
写真1 神戸製鋼所 経営企画部IT企画室の林高弘室長
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写真2 神戸製鋼所の神戸センターでの被災状況 揺れでコンピューターが赤い点線から黄色の矢印の方向に動いた。ディスクのクラッシュがなかったため,システム全体の被害は軽微だった。
写真2 神戸製鋼所の神戸センターでの被災状況 揺れでコンピューターが赤い点線から黄色の矢印の方向に動いた。ディスクのクラッシュがなかったため,システム全体の被害は軽微だった。
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 NTTコミュニケーションズは2月16日,企業の事業継続性計画(BCP)の策定を支援するためのセミナー「自社の総合リスク管理:事業継続への備え」を開催。午後からユーザー企業として神戸製鋼所の経営企画部IT企画室の林高弘室長が1995年1月の阪神淡路大震災当時の情報システムやネットワークの状況を説明した(写真1)。

 林室長は「システムに携わるスタッフが減っている一方で,扱うデータの量は大震災から10年で8倍になった。当時はコンピュータ・センタの被害は軽微だったが,今あのような大地震の直撃を受けたら大変」と現況を説明。また,「鉄鋼の顧客である自動車会社から供給体制は大丈夫かと確認される」(林室長)と,事業継続の影響範囲は自社にとどまらないことを強調した。

 神戸製鋼所は地震の被害が大きかった神戸本社のほか,40キロメートル離れた加古川にコンピュータ・センターを持っている(写真2)。震災当時は加古川で神戸のシステムをバックアップすることを試みた。しかし,約1週間後の1月23日に神戸センターの復旧のメドが立ったため,加古川でのバックアップは中止した。「ディスク装置の破壊がなかったし,関係者のチームワークもうまく機能した」といった要因があったという。

 しかし林室長は「当時と今では状況があまりにも違っている。年が経つにつれて意識が薄れている」と災害への気を引き締める。

 抜本対策の一つとして同社はまず,2005年に神戸と加古川のセンター間を1Gビット/秒の回線で接続して,両センターのデータを即時にバックアップするシステムを構築した。「先週,加古川が被災したという前提の下で,バックアップ・システムの稼働訓練を神戸で実施したところ,うまくいった。今月末には逆の訓練をする。実際にやってみると,見直す場所が出てくる」(林室長)と言う。

 震災当時の状況について林室長は「やはり電力と水の供給が止まったのが大変だった。電力は正常時の3%しかなく,コンピュータ・システムに優先的に回してもらった。完全復旧は3カ月後の4月10日で,それまで自家発電と併用した。当時のコンピュータは水冷式だったので,水の確保にも苦労した。工場の冷却水を自社の消防車で運んだり船で工業用水を運んできたりした」と苦労を振り返る。

(市嶋 洋平=日経コミュニケーション