競争力のある企業の情報システム部門は業務上の要請をどのように実現しているのか。IT戦略の違いが競争力にどう影響しているのか――。1つの業界で異なるIT戦略を採る複数の企業を比較する新コラム「リーディング企業 IT戦略の分岐点」の1回目は、ニューヨーク証券取引所(NYSE)グループ、ロンドン証券取引所(LSE)、東京証券取引所を取り上げる。
3社はいずれも株式売買システムの刷新プロジェクトのまっただ中。売買注文の処理スピードを10~100倍以上に高めようとしている。
システム構成・採用技術、投資効率の向上に向けた全体最適化のアプローチ、開発推進体制という3つの視点からIT戦略の分岐点に迫る。

(大和田 尚孝=ニューヨーク、ロンドン)


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 「ここ数年で、投資家や証券会社からの要件がすっかり変わってしまった。確実な約定処理よりも、注文処理のスピードでマーケットを選ぶようになってきた」。世界最大手、ニューヨーク証券取引所(NYSE)グループのスティーブ・ルビノウCTO(最高技術責任者)はこう説明する。

 NYSEでは、数百ミリ秒という売買システムの処理スピードの低さがネックとなり、レスポンスを重視する投資家の要求を満たせなくなりつつあった。コンピュータ・プログラムによる自動化で大量の発注を出すアルゴリズム取引の使い手が、米ナスダックや電子証券取引所(ECN)などに流れてしまったのだ。NYSE上場株の売買のうち、NYSEで扱われるのは2007年2月時点で66.2%と、04年に比べて15ポイント以上低下した。

 「投資家のNYSE離れに歯止めをかけるには、売買システムの処理スピードを上げるしかない」。事業環境の激変に合わせて、NYSEグループのジョン・セインCEO(最高経営責任者)は戦略を大きく転換した。06年3月、処理時間1ミリ~2ミリ秒と世界最速レベルの売買システムを持つECN大手「アーキペラゴ」を買収。名称を「NYSE Arca」に改め、電子証券市場に参入した。スピードを求める顧客に正面から向き合う決断を下したのである。

「NonStop」をPCサーバーで刷新

表●ニューヨーク、ロンドン、東京の各証券取引所における次世代売買システム、IT推進体制などの比較
 アーキペラゴで1ミリ~2ミリ秒の処理スピードを実現するシステムを企画・設計したルビノウ氏を、NYSEグループのCTOに抜てき。05年12月に稼働したメインの売買システム「ハイブリッド・システム」を08年3月までに刷新するプロジェクトをスタートさせた()。目標となる処理時間は数ミリ秒と、アーキペラゴ並みだ。

 具体的には、動作プラットフォームを現在の米ヒューレット・パッカード(HP)製「NonStop」サーバーから、同社製のPCサーバーかブレード・サーバーに変更する。OSはLinuxを使う可能性が高い。ハードウエアの刷新に合わせて、C言語によるアプリケーションも処理スピードが上がるように書き直す。

LSEは.NET環境を選択

 NYSEの判断には、ロンドン証券取引所(LSE)のシステム刷新も少なからず影響している。LSEはNYSEより半年以上早く10ミリ秒の処理スピードを実現するのである。

 LSEの売上高は06年3月期で約670億円(2億9100万ポンド)とNYSEの4分の1程度。この2年半で、米ナスダックやユーロネクストなどから4回も買収攻勢を掛けられたことからも分かるように、再編の核になれる存在ではない。IT投資は年間約70億円(3000万ポンド)とNYSEの7分の1程度。東証の半分にも満たない。

 そのLSEが処理スピードでNYSEに互していくには、投資効率の高いシステムが不可欠となる。LSEは、“コモデティ”で売買システムを構築することを決めた。

 07年6月に稼働させるLSEの次世代売買システム「TradElect」では、OSにWindows Server 2003を採用。アプリケーションは.NET環境でC#を使い構築した。ハードウエアは米HPのIAサーバー「ProLiant」を使う。テスト用などを含め、TradElect用に120台を導入している。

 LSEの売買システムはこれまで、NYSEと同様に米HPのNonStopサーバーを使ってきた。LSEのロビン・ペインCTOは、「限られた投資で最高のスピードを実現するはどうするべきかという観点で、プラットフォームを選択した」と説明する。

「伝送遅延」解消まで検討するLSE

 汎用製品で高い信頼性を確保するために、1つのトランザクションを2つのデータセンターにおいて同時並行で処理するといった工夫も施している。

 トランザクション処理を複数のコンポーネントに分け、「プロセサのパイプライン処理のように2つのデータセンターが並行して同一のトランザクション処理を進める」(ペインCTO)。この「iBus」と呼ぶシステム基盤により、どこかのコンポーネントがダウンした場合でもシステム全体に悪影響が及ばないようにした。

 TradElectの稼働前にもかかわらず、LSEは処理スピードのさらなる高速化に向けた戦略を考え始めている。新構想では、売買システムだけでなく、LSEと証券会社との間のデータ通信に伴う伝送遅延の解消にまで踏み込もうというのだ。

 ペインCTOが考える具体策は3つ。1つめは通信データの圧縮だ。2つめはLSEと証券会社などのデータセンターを光ファイバで接続すること。3つめが、アルゴリズム取引用のプログラムを証券会社などのデータセンターからLSEのデータセンターにアップロードする作戦だ。ペインCTOは「通信量を大幅に減らせるのでスピードアップにつながる。いかに光の伝送遅延を減らすかが高速化のカギだ」と説明する。

東証は富士通の“特注品”を採用

 NYSEとLSEが最も重要な競争条件と考える処理スピードについて、東証はどのように考えているのか。鈴木義伯 常務取締役CIO(最高情報責任者)は「もちろん、信頼性や拡張性よりも高速性が重要」と即答する。東証もNYSEやLSEと同様の認識だ。

 ただし、NYSEやLSEのように汎用製品で売買システムを構築するのは「信頼性の面でリスクが大きい」(鈴木CIO)と見送った。動作プラットフォームには、富士通の基幹IAサーバー「PRIMEQUEST」を採用。3重化したメモリー上で売買注文を処理するという富士通の“特注品”を選んだ。ミドルウエア群も、富士通が東証の次世代売買システム用に開発するものを使う。

 鈴木CIOはWindowsという選択肢について「我々が望む限り現行バージョンのサポートを続けてもらえるかどうか確証が得られなかった」とも付け加える。LSEとマイクロソフトが組んで、東証にWindowsベースの次世代売買システムの提案をしたが受注に至らなかった背景には、このような東証の考えがあった。


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