接待や商談に利用する飲食店の名刺を収めたカードケース、愛娘手作りのお守りが入っている。愛用するノートは二冊をホルダーに入れている。
写真:新関 雅士

 「このデータ連携システムは実によくできているね。パッケージ製品にして展開できないの」。

 「はい。考えてみます」。

 10年ほど前、中部地域で流通サービス業を担当していた高岡は、顧客とこんなやりとりをした。メインフレーム上で動いていた企業間のデータ交換システム(EDI)をオープン環境へ移行するプロジェクトが無事終了した時のことだ。

 1998年にCTCへ転職してから数年間は、メインフレームをオープンプラットフォームに切り替える案件の全盛期であり、高岡はシステムの移行プロジェクトを数多く受注していた。EDIシステムはその中の一つであった。

 「どんなにチャレンジングなことでも、Yesから入り、決してNoから入らない」。

 これが高岡の基本姿勢だ。「前向きな姿勢を見せることで、お客様や社内外の協力者がついてきてくれる」と信じている。「パッケージ製品に仕立てないか」という、地方の一営業担当者にとって、かなり大きい話を振られた時も迷わずYesから入った。

 マーケティングや製品化の知識はなかったが、ビジネスチャンスをつかんだという手ごたえがあった。顧客企業の協力を取り付け、納入済みのシステムをパッケージ製品に仕立てる作業に着手した。

 まず「製品にしたい」と申請を上げないといけない。製品という以上、スペック(仕様)を固めておく。カタログも必要だ。広報を通じて製品発表もしよう。お客様の成功事例も一緒にアピールしたい。

 高岡が一連の作業を主導し、発売に至った製品は「MB for EDI」という。5年で販売終了となったが、その間、10数社へ導入され、全体で10億円規模の売り上げを達成した。

 チャレンジ精神が旺盛である一方で、極めて慎重な一面もある。大型プロジェクトの受注が決まりそうな商談の場では、はやる心を意識して押さえ込む。顧客の要件を何度も精査し、危険な兆候がないかどうか、神経を研ぎ澄ませて考える。

 これは過去に、高岡が受注したあるプロジェクトで一部のアプリケーションが稼動しないというトラブルを経験したことがあるからだ。「営業である私のミス。受注を取りたいという気持ちが先走り、お客様の要件を詰め切れていなかった」と高岡は反省する。

 それ以来、失敗の兆候を見極めるために、顧客の話を聞くことにさらに重きをおくようになった。

 「顧客との関係作りはテクニックよりハート。熱心に相手の話に耳を傾けることが大事」。

 商談の場では辛抱強く要件を聞き出していく。雑談や身の上話の中にも相手の本音が隠れている場合がある。

 2008年に製造業の担当営業へ異動して以来、東京で単身赴任生活を送っている。そしてこの4月、新設された製造ビジネス営業第3部の営業部長に抜擢された。同部は、重工業、総合電機、自動車メーカーを担当する。部下は21人になった。

 「入社してからずっと上司や仕事に恵まれてきた。期待をかけてもらい、その期待に応え続けたことが評価されたのだと思う」と高岡は語る。

 営業部長になった今は、チームセリングに徹している。かつては個人プレーをしていたという高岡だが、部下には「一人でやらないこと。縦でも横でもいいから、必ず周りを巻き込み、アドバイスをもらえ」と指示する。

 本部長からは「直近の数字を達成するのは当然だが、2年から3年先のことも考えてくれ」と言われている。かつてパッケージ製品を作り出したような、新しい動きを期待されているのだろう。

 激務を続ける高岡だが、単身赴任のため、「正直に言うと夜は暇」という。そこでもっぱら、同じ単身赴任の顧客と会食を重ねている。

 「製造業のお客様に伺ってみると、自分と同じで地方から来ている方が案外多い。単身赴任者同士で飲んでいると、『よし、お前のために一肌脱いでやろう。製造業とは何か、徹底的に教えてやる』といってもらったりしてありがたい」。

 高岡の鞄にはいつもノートが入っている。そこには、スケジュールや顧客との打ち合わせ内容に加え、高岡なりにまとめた製造業のポイントが書き込まれている。

 「お客様から教えていただいた生産にまつわる話、部品の動き、製造業の経営、といったことを書いては見直している」。

 単身赴任者ネットワークが密になればなるほど、ノートに書き込む情報が増えそうだ。

=文中敬称略
高岡 国博(たかおか くにひろ)
伊藤忠テクノソリューションズ
エンタープライズビジネス第3本部
製造ビジネス営業第3部 部長
1970年愛媛県生まれ。メーカー系SI会社を経て、1998年に伊藤忠テクノサイエンス(現・伊藤忠テクノソリューションズ、略称CTC)に入社。中部地方を拠点に、流通サービス業界、電力・鉄道業界の営業を担当。2008年4月に製造ビジネス営業部隊へ異動し、東京に単身赴任となる。2010年4月、製造大手のアカウント営業を担う製造ビジネス営業第3部の部長に就任。趣味はカラオケで、帰省の際には娘と嵐を熱唱する。