5月28日 この日こうしろう一家は朝からそわそわしていた。2階の物置をこうしろうの部屋に改築する工事が始まる日だ。こうしろうはこれまで,かずと同じ子供部屋で2段ベッドで寝ていた。中学2年生と小学5年生の兄弟,年は3つしか違わないが生活パターンは全く異なる。起床時間はあまり変わらないが,就寝時間が2時間近く違う。そんなこうしろうのためにベッドと机を置くと一杯になる小さな専用の部屋を作るのである。妻は大工さんが朝早くからこないかと,寝ていられない様子だ。

 そしてもう一つ。4月21日にこうしろうが受験した基本情報処理技術者の合格発表の日である。明け方から私も,もうインターネット上で結果が公表されただろうかとオチオチ眠っていられなかった。しかし,この日は中学の中間テストの日でもあった。合格,不合格のどっちに転ぼうが,本人が結果を知るのは中間テストが終わってからの方がいいと思い,こうしろうが「行ってきまーす」と出かけるまで,ベッドの中で待機していた。

 「中学になったら,情報処理の試験受けたい」と言い出した小学6年の頃。小学校最後の春休みに坂村健教授の『痛快コンピュータ学』を苦しみながら読んでいた。中学に入ってからは,入学祝いにもらった図書券で参考書を買い,少しずつ勉強を続けていた。どこまで続くかと眺めていたのだが,学校の勉強はしないくせに,情報処理の勉強を止めることはなかった。1年数ヶ月の準備期間を経ての受験だった。「落ちて自分の力が及ばないものがあること知ったらいい」などと強がっていた父であるが,なんとか受かっていて欲しいと思う。

 走馬灯のように,これまでの日々が頭の中をよぎる。試験まで数ヶ月となった頃には,私もあせっていた。部活のハンドボールで疲れ,ボッーとして参考書を開こうとしないこうしろうに「お前,本当に試験受ける気あるがか」と怒ったりもした。こうしろうの生活信条は『節約』,試験勉強も省エネで乗り切ろうとする。どうしてもっと必死にならないかと苛立ちを覚えた。

 基本情報処理試験の問題集に悩むこうしろう,ロガリズムやポワソン分布など中学では習わない数学の知識を要する問題は「それぐらい捨てても,大丈夫だ」と励ます。問題集巻末の模擬試験に挑んだのが試験日の1週間前,合格ラインである正解率75%には遠く及ばない。「大丈夫,君は本番に強い」と問答無用のなぐさめを言う。

 私はこうしろうの試験勉強にどこまで関与したのか。問題集でわからないところがあると「教えて」とやってきた。それが私のわからない問題の場合は「ここは捨てなさい」とアドバイスした。C言語については主に日経ソフトウエアの連載記事をもとに教えた(いつもC言語について書いてくれている丸山さんに感謝である)。試験の数日前には「一週間で覚える…」という参考書を買い「これ2日で読むように」と手渡した。前日には「最近の出題傾向から言って,今回はオブジェクト指向とSQL,無線LANが出る」とヤマを張った。2つ当たった。試験会場である富山大学まではバス,電車,路面電車と乗り継いで1時間半は掛かるので,車で送っていった。帰りにはマクドナルドでハンバーガーをおごってやった。コーラもポテトも付けてやった。

  8時,こうしろうはもう中学についた頃,大工さんも仕事を始めた。情報処理技術者試験センターのサイトを開き,手帳にメモしておいた受験番号とパスワードを入力する。午前,午後それぞれの点数と合否判定が表示される。午前,午後とも800点満点で合格基準ラインは600点。どうなんだ!受かっていてくれと画面を凝視する。 

 「合格です」と,ごくありきたりのフォント,サイズ,カラーで表示された。「なんかさあ,もっと派手な文字とか,gif画像で盛り上げてくれてもいいのにな…」点数はきわきわ,すりきれ,ぎりぎりの節約型合格であった。「おーい,こうしろう受かっとったぞ!」改築工事に夢中の妻に声を掛ける。「新聞に載るかな?」,「学校にも連絡した方が…」父と母はくだらぬミエを気にする。

 「こうしろうが帰って来ても,言うなよ。自分で確かめた方がうれしいから」と会社へ行く。しばらく仕事が手につかず,情報処理技術者試験センターのサイトで統計情報を見る。全国で134,252人が基本情報処理試験に応募し89,093人が受験,16,632人が合格。大学生とソフトウエア業に勤務する人がもっとも多く合格している。小・中学校の区分では14人が受験し,4人が合格。合格率28.6%は,高校生の9.4%,短大生の8.1%,大学生の21.4%を上回り,社会人の平均も軽く凌駕する。数名の本気になった中学生が,勉強させられている学生や,しなくてはいけない社会人を超えたのである。富山県では小・中学校の応募者が1名,受験者1名,合格者1名,うーん,わかりやすい。経済産業省のページもチェックする。最年少合格者年齢13歳,1988年9月生まれのこうしろうはまぎれもなく13歳である。

 家に帰ったら,こうしろうの手を握り「おめでとう」と言おう,ついでにかずの手もぎゅう,ぎゅう握って「痛い,痛い」と言わせてやろうと車で10分足らずの帰り道を急いだ。でも中学2年生の息子と父の間には,少し空間があった。照れて手など握れない。PCの画面に向かっているこうしろうに「おめでとう」と言った。彼は,今までの1年数ヶ月を振り返るかのように「ありがとうございました」とゆっくりと言った。それだけで十分だった。全ての思いが溶けていった。

 そして私も,もう一度,ゆっくりと「おめでとう」を言った。