課題は効率化だけではなかった。品質管理面でも、定期券のICカード化など、機能が複雑化するにつれ、おつりの精算間違いが巨額の損害賠償に発展しかねないといったリスクの増大があった。

 もちろん、同事業部の現場はかねてからこれらの問題を意識はしていた。設計部門側で設計図面の流用や、ソフトウエア開発へのオブジェクト指向技術導入に取り組むなど生産性向上を図ろうとしていた。ところが結局、営業担当者が、仕様の変更を次々と設計部門に持ち込んで、大慌てで設計をやり直す事態が頻発するうちに、こうした効率化の取り組みは、なし崩しになったという。特に、同事業部の営業部門には「うちは営業が強い事業部」という自負があり、「『要望したことは確実にやってくれる』という信頼感を得ることが顧客との強い関係作りになる」という文化があった。

 抜本的な改革がスタートしたのは2004年4月のことだった。SSBの新社長に就いた滝川豊執行役員専務(この6月からは本社副社長に就任)の指示で、同事業部に「若手マネジャーを集めて、3カ月で課題を洗い出せ」という指示が下ったのだ。

若手が部門横断で課題を整理

 営業や設計など全部門の係長クラスのマネジャー10人が召集され、改革活動が始まった。メンバーは面食らいつつも、1週間に1回、宿題を持ち寄り課題と改革のポイントを討議した。議論に参加した大塩和正・事業企画課長は「従来の感覚だと半年間はかかった。滝川SSB社長から3カ月でやれといわれてスピード感を意識せざるを得なくなった」と振り返る。

 ただし公共ソリューション事業部長の田辺春雄事業部長(当時)は、「現場には“衝突すると一緒に仕事してくれなくなる”と議論を避ける傾向がある」「若手だけでは、議論が発散して課題を整理できないかもしれない」と心配した。

 そこで製造改革に詳しいコンサルタントをオブザーバーとして1人入れた。滝川SSB社長から若手マネジャーに向けて「ゼロベースで考えろ。投資額の心配もいらない」と伝えてもらった。こうして、若手マネジャーたちは「お客さんからの要求が複雑でどんどん分かりにくくなっている」「ソフト化が進んでいるのに今の開発体制でよいのか」「突然の仕様変更が多いのは、営業がきちんと要件を聞き出せていないからだ」などと本音で問題を指摘し始めた。

 これらの議論を経て改革の3本柱が決まった。(1)組織をMBU(ミニビジネスユニット)制に移行(2)ソフトウエア開発の内製化(3)「仕様チェックシート」を通じた仕様の標準化─だ。特に(1)と(3)の方策には、「営業の意識改革が必須」という問題意識が込められていた。

営業の意識変革を推進

 「要求を忠実に受けないとお客さんとの関係が崩れるという言い分が営業にはある。この勘違いを正すにはきちんと商品の価値を説明でき、中身を分かって開発期間やコストへの影響を見積もりながら顧客と話ができる技術営業の人材を作る必要がある」と田辺事業部長は考えていた。

 2004年11月から実施したMBU制は、営業や設計といった機能別組織をやめ、担当地域や顧客の種類で3つに分けて、営業と設計などを一体の組織に再編成したものだ。営業が設計と以前よりも密接に連携するよう仕向けた。

 さらに、MBU長には“ミニ事業部長”のような権限を与えた。「MBU長は単なる営業トップではない、経営の意識を持て、と伝えた。どう原価を抑えるかまで考えさせる。特別な仕様になり過ぎ、赤字になり得るようなら受注を見送る覚悟で顧客と交渉してもらう」(田辺事業部長)

 それでも、現場の営業担当者の意識がすぐに変わったとは言えなかった。「お客さんと目線を合わせなさい」と滝川SSB社長や田辺事業部長は言い続けていたが、MBU制の実施だけでは不十分だと2人の目には映った。