「社内にいる顧客」の声に経営を合わせる

 横井氏は創業以来、「教室は生徒さんのもの」と言い続けてきた。だから、生徒の声には敏感に反応し、その都度会社の仕組みを変えてきている。

 典型例が、2006年4月に始めた「フリー通学制」である。生徒はどの教室にも自由に通えるというものだ。この制度は、会社帰りに会社近くの教室に通っている生徒から「休日は地元の友達と一緒に自宅の近所にある教室に通いたい」という要望が挙がったことに端を発している。女性の多くは平日と週末で生活スタイルや付き合う友達が変わるため、教室を使い分けたいニーズが強かった。フリー通学制は大好評で、話題の商業施設に数多く入居するABCを渡り歩く女性もいれば、出張時に独りで食事をするのはつまらないと、出張先の近くの教室で料理を作って、初めて会った生徒同士で楽しく食事をして帰る女性までいる。

 ABCの強みはこうした生徒の声を「社内」から収集できることである。社員の中にはABCの生徒だった人がたくさんいるし、社員の半数は今も生徒の1人として教室に通っている。そのため、こんな仕組みがあればもっと通うのが楽しくなるのにというアイデアが内部からどんどん出てくる。

フリーアドレスのオフィスで社員と机を並べる創業者の横井氏(中央の男性)は、その場で社員から現場の生の声を収集する
フリーアドレスのオフィスで社員と机を並べる創業者の横井氏(中央の男性)は、その場で社員から現場の生の声を収集する
写真撮影:木村輝

 横井氏は「社員兼生徒」の声を大切にする。風通しのよい組織を目指して2006年4月に導入したフリーアドレスの本社では横井氏も社員と机を並べ、雑談の中から情報収集する。「1日レッスンを充実させてはどうか」などアイデアは携帯電話に入力してメモ代わりにし、担当者に伝える。以前は黄色の紙に書いて渡していたので、社内では「イエローカード」と呼ばれている。サッカーの警告カードのように、同じメモが2枚来れば、横井氏が本気であることが社員にはっきりと伝わるという。

キッチンが家庭の主役になったことが追い風に
横井 啓之 創業者
横井 啓之 創業者
よこい ひろゆき氏●1964年3月、静岡県生まれ。1987年に前身のジェンヌを設立して社長就任。2003年7月に社名を変更。現在はABCホールディングスのCEO(最高経営責任者)
写真撮影:木村輝

 当社にとって追い風だったのは、女性の関心がここ数年で外から内に向かったことでしょう。その変化は住宅事情に表れています。今はどの家も主婦が一番長い時間を過ごすキッチンを中心に設計されています。キッチンに家族が集い、楽しい食事や団らんの時間を過ごしたり、休日には友人を招いてホームパーティーを開いたりする習慣は日本でも定着しました。その場に必要なのは手軽に作れる家庭料理であり、料理を学びたいという女性の欲求は高まりました。

 私が地元の静岡で起業した1987年は土地バブル景気の絶頂期で、夫や恋人と外食に出かけることがおしゃれだとされていました。女性の目は外に向いていたのです。銀行に行くと、「料理教室に未来はない」と融資を断られることもありました。それでも当時から料理を通じて楽しい時間を過ごしたいというニーズは少なからず存在し、教室に集まる生徒さんの声を信じて20年続けてきたことが成長の要因だと思います。

 以前、調理器具を販売していた私は実演の意味から最初の1年は厨房に立ちましたが、あとは料理が得意な人に任せ、私は集まる女性に洋服も売ろうとか美容院にも呼び込もうと、いろいろな事業に手を出して失敗しました。それでも料理教室には女性が集まり続け、目が覚めました。気づくのに3~4年かかりました。