ニコンのデジタルカメラ事業が絶好調だ。好調を支えているのは、顧客の声を収集・分析する専門組織「マーケティングラボ」。感性価値を分析してニーズを掘り起こすことで、商品企画を後押ししている。ラボの情報を採り入れて開発したコンパクト機「COOLPIX S500」がヒット。S500をさらに改良した「S510」は、8週連続シェア3位の快挙を達成した。

 ニコンのデジタルカメラといえば、キヤノンとシェア1位を争う一眼レフの存在感が圧倒的。だが、最近ではコンパクト機も出荷台数を大幅に増やしている。 2008年3月期中間期には、前年同期を63万台上回る403万台を出荷した。2007年3月に発売したデザイン性の高い新モデル「COOLPIX S500」が大ヒットしたことが貢献した。

 デジタルカメラ事業が好調な要因の1つに、マーケティングの進化が挙げられる。精密機械に詳しいアナリストも、「ひところと違い、各商品がどのような顧客に向けたものかを明確に設定できている」(野村證券の和田木哲哉・金融経済研究所シニアアナリスト)と評価する。

 従来のニコンは技術力の高さに定評がある一方、マーケティングを苦手としてきた。例えば、今やほとんどのデジタルカメラが搭載する手ぶれ補正は、同社が 1994年にフィルムカメラで初めて搭載した技術。ところが、デジタルカメラではマーケティング力に優る他社に話題性を奪われてしまった苦い経験を持つ。

 実際、マーケティング体制には大きな課題を抱えていた。以前から顧客の声を集めてはいたものの、組織的かつ迅速に分析する体制が整っていなかったのである。商品企画担当者が顧客のニーズを探ろうと思えば、世界各国の販売会社とメールなどを使って個別にやり取りするしかなかった。

 情報を提供する側の販売会社も、定期的な顧客アンケートを実施していなかった。その時々に実施する調査から得られたデータも、機種ごとの傾向を分析できるように集計されておらず、本当にターゲットの声なのか検証しにくかった。

 これらの結果、商品企画のPDCA(計画・実行・検証・見直し)サイクルが円滑に回らなかった。現行商品に寄せられた顧客の要望を反映する作業が半年後に発売する次期モデルに間に合わず、さらにその次のモデルで反映していた。この状況に、「デジタルカメラは商品開発スピードが速い。顧客の声を素早く集める仕組みを整えなければならない」(映像カンパニーマーケティング本部第一マーケティング部の永井淳マーケティングラボマネジャー)と現場は危機感を募らせていた。

販社の営業情報を集約する司令塔を組織

 そこでニコンは、「CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)プロジェクト」を2002年に立ち上げた。同プロジェクトが顧客の声を集める基盤を整えたうえで、2005年に「マーケティングラボ」という組織に発展させた。

 マーケティングラボの役割は大きく2つある。(1)顧客の声などの情報を組織的かつ迅速に収集し、商品企画に生かす流れを作る、(2)商品企画とそれに応じた情報収集の切り口を広げる─である。

 まず(1)の情報収集の面では、定期的に顧客アンケートを取るためのウェブサイトの開発や、各国の販売会社から定期的に顧客情報を集める手順作りを進めた。必要な情報を販社に指示するなど、世界各国での情報収集活動の司令塔の役割も担った。ラボ自身も顧客などにグループ・インタビューを実施して情報収集に励んだ。

 情報収集の基盤を作りながら、(2)の切り口を広げるための活動を進めた。例えば顧客へのインタビューでは、デザインの好みなどの「感性価値」を聞き出すことに力を注いだ。次の商品に盛り込む仕様のキーワードを見付けるためだ。

 感性を聞き出す作業によって、顧客のセグメント化が必要になってくる。そこで2005年に、顧客のライフスタイルに応じてコンパクト機の商品ラインアップを3分割した。カメラ性能を重視するP(パフォーマンス)、デザイン重視のS(スタイリッシュ)、気軽に持ち歩きたい顧客向けのL(ライフ)である。それぞれの顧客の志向に合わせた商品を企画しやすくした。

●顧客の声を素早く分析するマーケティングラボが商品企画の後ろ盾に
●顧客の声を素早く分析するマーケティングラボが商品企画の後ろ盾に

販売会社側も情報を集める体制を一新

 ラボの施策と並行して、国内販社のニコンカメラ販売(2008年2月1日にニコンイメージングジャパンに社名を変更)も情報収集の体制を改善した。まず、顧客が利用者登録を済ませると自動的にアンケートのメールを配信。回答データをリアルタイムで集計し、まとまった分量を定期的に再集計する。これをイントラネットに掲載するようにした。

 聞き出す内容も工夫した。性別や年齢などの属性のほか、販社自身が活用できる情報としてカメラと同時に購入した商品の購買情報なども調査している。「営業担当者が購買情報を活用して量販店に売り場の改善を提案できるようになった」(笹尾英樹マーケティング・企画部MD課副主幹)

ニコンカメラ販売マーケティング・企画部の笹尾英樹MD課副主幹(写真右)、同部企画課の岡島孝浩氏(写真左)
ニコンカメラ販売マーケティング・企画部の笹尾英樹MD課副主幹(写真右)、同部企画課の岡島孝浩氏(写真左)

 2005年の後半には調査会社出身の岡島孝浩氏がマーケティング・企画部企画課に加わり、データ収集や分析の精度に磨きがかかった。統計解析ツールを使い、相関が高い因子をグルーピングして潜在的な傾向を抽出する因子分析を実施。「仲間と盛り上がる場で使う」「ファインダーをのぞくのが楽しい」といった質問から、顧客がアウトドア志向かどうかなどサイコグラフィック(心理学的)特性を導き出す。これにより、ターゲット顧客の声をより正確に読み取れるようになった。

 岡島氏らはアンケートの質問も改良した。手ぶれ補正などの機能を挙げて質問しても、顧客がその効果を正しく理解して答えられるとは限らない。そこで「シャッターチャンスを逃したくない」「暗い場所でよく撮影する」といった具体的な撮影シーンを提示して使い方を探った。暗い場所での撮影に顧客の反応が良ければ、手ぶれ補正のニーズが高いという仮説が立てられるわけだ。

●前機種で得た顧客の声を次機種で直ちに反映できるようになった
●前機種で得た顧客の声を次機種で直ちに反映できるようになった
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30代男性を狙う新機種をラボ情報が後押し

 2007年3月に発売したCOOLPIX S500は、ラボなどが集めた情報を最大限に生かして開発した。

 S500の企画を担当した映像カンパニーマーケティング本部第一マーケティング部の堀江正浩・第ニマーケティング課マネジャーは、「物にこだわる 30~40代の男性が、持ち歩いて自慢したくなる機種がない」(堀江マネジャー)と感じていた。既存のSシリーズは、きょう体に波形の曲線を採用した機種など女性に人気が高いものばかりだった。

ニコン映像カンパニーマーケティング本部第一マーケティング部の永井淳マーケティングラボマネジャー(写真上)、堀江正浩第ニマーケティング課マネジャー(写真右)
ニコン映像カンパニーマーケティング本部第一マーケティング部の永井淳マーケティングラボマネジャー(写真上)、堀江正浩第ニマーケティング課マネジャー(写真右)

 そこで、物へこだわりが強い30~40代の男性という顧客セグメントへの調査をマーケティングラボに依頼した。その結果、カメラらしい質感を求めることや、「ソリッド」(堅い、しっかりしたなどの意味)、「金属感」などの言葉に反応が高いことが分かった。ニーズがあると確信した堀江マネジャーは、小型・高速起動という特徴を備え、削り出し調のデザインで質感を高めたCOOLPIX S500を開発。同機種は2007年8月の月間販売ランキングで2位に輝いた(BCN調べ)。

 マーケティングラボはS500の発売後、狙った顧客に受け入れられたかどうかも調査している。「外部調査も活用し、顧客の志向を着実に集めている」(堀江マネジャー)と、企画担当者のマーケティングラボへの信頼感は年々高まっている。

500件の顧客の声を次期商品にすぐ反映

 堀江マネジャーは、2007年9月に発売したS500の後継機である「COOLPIX S510」にも、マーケティングラボからの情報を積極的に活用した。

 同年3月発売のS500に対する反応を、ラボが発売後1カ月で収集した約500件の顧客の声から分析。盛り込むべき仕様を固めていった。

 顧客の声を参考に急きょ加えた仕様もある。例えば、きょう体の色に女性向けのピンク系を加えたのは、中国市場の顧客の50%が女性だったため。マーケティングラボのおかげで世界各国の異なるニーズを短期間で把握できるようになった。

 撮影終了後にカメラのレンズを収納する時間も短縮した。撮影には影響しないため改良は不要という意見もあったが、顧客の声が覆した。

 顧客の要望を素早く反映したS510は、BCN調べの販売ランキングで2007年10月第1週から8週連続3位を獲得。S500を上回る快挙となった。