東宝の映画興行部門として,六本木ヒルズをはじめ全国で約30のシネマ・コンプレックスを展開するTOHOシネマズ。同社は2007年の夏から秋にかけて,オープンソースのIP電話サーバー用ソフトであるAsteriskを使って自社の内線電話システムを構築した(図1)。情報ネットワークに接続した約30拠点の既存PBX(構内交換機)にVoIPゲートウエイを接続。既存のビジネスフォンを使いながら,拠点間通話をIP化した。全体の呼制御はAsteriskが担う。

図1●Asteriskを使って拠点間内線をIP化したTOHOシネマズ
図1●Asteriskを使って拠点間内線をIP化したTOHOシネマズ
既存のPBXにVoIPゲートウエイを接続し,すべての呼制御を本社に設置したAsteriskが担う。市販製品を使えば数千万円以上かかる見積もりだったが,Asteriskを活用することで400万~500万円の初期投資で済んだ。
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 Asteriskを使うことで,市販のIP-PBXと比較して,導入コストを大幅に抑えることに成功した。またAsteriskが持つIVR(自動音声応答)機能を活用し,映画館で開催するイベント用の自動音声応答システムも自前で構築した。

低コストの内線網を作りたい

 TOHOシネマズでは将来を見据えて,2003年ころから内線網のIP化を検討し始めた。米アバイアや米シスコといったIP電話ベンダーに見積もりを依頼したが,「数千万の投資が必要との回答だった。当時の我々の規模からすると金額が高く,とても導入に踏み切れなかった」(TOHOシネマズ総務部情報システム室の菊池久氏,写真1)。

写真1●Asteriskを使った内線電話システムを構築したTOHOシネマズ総務部情報システム室の菊池久氏
写真1●Asteriskを使った内線電話システムを構築したTOHOシネマズ総務部情報システム室の菊池久氏

 コストを抑えた上でIP電話を導入する方法を検討する中,菊池氏はある日,IP電話サーバーを構築できるAsteriskというオープンソース・ソフトウエアの存在を知った。菊池氏は早速,会社内のサーバーにインストールしてソフトフォンを使うなどして検証を重ねた。「当時はAsteriskのバージョンが1.2のころだった。(検証の結果)これは可能性があると確信した。書籍やWeb上の情報を調べながら次第にAsteriskにのめり込み,Asteriskを使って内線網を構築しようと考え始めた」(同)。

 Asteriskによる内線網を構築する以前は,KDDIのIP電話サービス「KDDI-IPフォン サービス」を使って,全国に約30ある拠点間を内線化していた。各拠点のPBXにVoIPゲートウエイを接続し,通信事業者のサービスを使って内線通信を実現していた。

 だがVoIPゲートウエイがハングアップするなどのトラブルが発生していたという。「VoIP ゲートウエイとIP電話サービスが一体化されているため,我々がリモートで再起動できないなど,小回りが利かなかった」(同)。菊池氏は「IP電話サービスに問題は無かったが,機器の中身を我々が管理できない点が問題だった。ブラックボックスになっている状況を何とかしたかった」と語る。

まずは映写室向けのIP電話網を自作

 菊池氏は,Asteriskを使って自社の内線網を構築する前に,テストとして映画館の映写室を結ぶIP電話システムを作った。2006年のことだ。「映写室にはこれまで電話機が入っておらず,携帯の電波が入らないことも多かった。映写技師同士で情報交換したいニーズがあったので,テストとしては最適だった」(菊池氏)。

 具体的には既存の内線電話とは切り離した形で,本社に設置したAsteriskサーバーによって各映写室のIP電話機を制御する,シンプルなIP電話システムを構築した。本社と拠点を結ぶネットワークは,Webやメールなど情報系ネットワークで利用しているKDDIのインターネットVPN「イーサエコノミー」に相乗りする。IP電話システムは菊池氏自らが作り上げた。「Linuxを触れる人であれば,Asteriskを使った単純なIP電話システムを問題なく構築できる。費用もIP電話機の実費と拠点への出張旅費くらいで,ほとんどかかっていない」(同)。テストの結果,映写技師からの評判が良く,大きな問題も発生しなかったため,全社の内線網をAsteriskで構築する計画が具体化したという。

既存のPBXとの接続に苦労

 同社の内線網は,各拠点の既存の“レガシー”PBXにVoIPゲートウエイを接続し,拠点間通話をAsteriskによって制御することになった。各拠点のシステムは2007年秋ころまでに構築を終えた(図1)。拠点を結ぶネットワークは既存のインターネットVPN網を活用。Asteriskは,PBX配下のビジネスフォンと,新設したIP電話機を合わせて,全社合計で500台程度の端末を制御している(写真2)。外線発信は,各拠点のPBXからKDDIのIP電話サービスを経て加入電話網へと出ていく。

写真2●全社の内線通話の呼制御を担当するAsteriskサーバー(左赤枠内)とコンソール画面(右)
写真2●全社の内線通話の呼制御を担当するAsteriskサーバー(左赤枠内)とコンソール画面(右)

 とはいえ,すべてが順調に進んだわけではない。当初は自力でAsteriskを使った内線システムを構築するつもりだったが,設定につまづき断念した。「Asteriskに対応する米ディジウムのボードを並行輸入するなどして,既存のPBXとAsteriskの接続を試みた。だが,PBX側の設定が難しく,どうしてもうまくできなかった」(菊池氏)。

写真3●米クインタム・テクノロジーズ製のVoIPゲートウエイ
写真3●米クインタム・テクノロジーズ製のVoIPゲートウエイ
メンテナンス性が高く,システムの肝になっているという。

 そこでVoIPシステムの構築を得意とするシステム・インテグレータであるユーエフネットに相談。米クインタム・テクノロジーズ製のVoIPゲートウエイ(写真3)がPBXとの接続が容易との助言を受けて,同社とクインタム社の日本代理店であるYCS,さらにTOHOシネマズの既存のPBXを担当しているNECインフロンティアが今回のプロジェクトに参画することになった。最終的にはこの3社の共同作業によって,Asteriskを使った内線システムの稼働にこぎ着けた。

 菊池氏は「以前,IP電話サービスのトラブルを経験していたため,VoIPゲートウエイの選択には慎重だった。クインタム社の製品は安定しており,メンテナンス性も高い。現時点では,外線のIP電話サービス用のVoIPゲートウエイが残っているが,将来的には外線発信もクインタム社の製品で担うようにしていきたい」と語る。