花王のヒューマンヘルスケア事業の現場を訪問した尾崎元規社長(写真右端)。「企業間競争とは個性の磨き合い。だから理念の浸透、つまり花王らしさの徹底が不可欠だ」と考え、明文化した花王ウェイの浸透活動に力を注いでいる。
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 「若いころは会議で議論が白熱すると、『だったら、これからみんなで現場に行こう』となっていた。消費者の視点が大事だなんて、あえて言うまでもない。それが花王らしさだった」---。

 “消費材メーカーの雄”が経営理念の浸透活動に力を入れている。生え抜きの尾崎元規社長は、花王の強さの源泉、つまり花王らしさを明確につかんでいるがゆえに、実は不安を抱えていたからだ。「グローバル化と事業領域の拡大で大所帯となり、この花王たるゆえんをフェース・トゥ・フェースで伝承して、社員に染み付かせていくのは容易ではなくなってきた。海外も含めると2万人も従業員がいるから」

 業務革新を続けていくためには、全社員が強い目的意識を持ち続けなくてはならない。経営トップが声高に叫べば、瞬間的にはベクトルは一定方向に向く。しかし、この先5年、10年といったスパンで見たらどうか。全社員が拠って立つ革新の方向性が必要になる。そこで尾崎社長は現在、花王らしさを凝縮した経営理念や行動指針などを明文化し、自ら国内外の拠点に足を運び、理念のストーリーテリングに取り組んでいる。「効果は1年や2年で出るものではない。だがどうしても必要なことだ」と不倶戴天の覚悟である。

 「特にグローバルに大きくビジネスを展開するためには、確固たる理念が必要だ。(消費財市場のライバルである)米P&Gや米ジョンソン・エンド・ジョンソンは当然そうしたものを持っているはず。理念がないと、何千人、何万人という数の人は動かないし、企業の競争とは個性の磨き合いなのだ」。尾崎社長はこの活動に“真のグローバル企業”への脱皮の夢も託す。

実は遅れていた「ナレッジ」の共有


尾崎社長(写真後列左から3番目)は海外拠点でも花王ウェイの浸透活動に余念がない。写真はタイに拠点を置く販売会社での一幕。アジア地区は、理念の浸透活動上、海外の中では最も重要な拠点である。
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 2004年6月に社長に就任した尾崎氏は、2004年10月に企業理念「花王ウェイ」を明文化した。情報システムに先駆的に取り組んできた花王だが、それまでは、ものの考え方という「ナレッジ」を明示して共有していたわけではなかったのだ。

 花王ウェイの策定作業は、1935年入社の中興の祖である元社長の丸田芳郎氏の偉業を経営史として残そうと、2001年末に発足した社内プロジェクトから発展したものだ。創業の精神にまで立ち返って、花王ウェイは策定された。明治23年に誕生した花王は、高級品だった石けんを泡立ちなどの性能を落とすことなく安く提供し、国民の清冽な精神を醸成する、という創業の精神を持っていた。この考えが出発点となって2代目の社長が、消費者のために良いものを提供できているか、ちゃんと時代の変化をとらえているか、と昭和初期に盛んに言い出した。

 尾崎社長たちの世代は若いうちから、「現場は見たか」「消費者は何て言っている」「時代はどう動いている」「世の中に遅れてないか」と上司や先輩から常に言われ、知らず知らずのうちに「消費者起点」という考え方が身体に染みついていた。花王にはそうした風土が育まれていたのだ。だからこそ、花王はものづくりの革新性を維持し続けられてきた。この風土の「見える化(可視化)」が必要になった。「時代の変化に合わせて目標や戦略は変える。しかし、ものに対する見方とスタンスは変えてはいけない。組織や商品に個性を生み出すからだ」と尾崎社長は言う。

 花王ウェイは「使命」「ビジョン」「基本となる価値観」「行動原則」の4要素で構成される。それぞれ「私たちは何のために存在しているのか」「どこに行こうとしているのか」「何を大切に考えるのか」「どのように行動するのか」を表すものだ。ここで掲げた使命は「豊かな生活文化の実現」だ。創業の精神そのものと言っていい。ビジョンは「消費者・顧客を最もよく知る企業に」、基本となる価値観は「よきモノづくり、絶えざる革新、正道を歩む」、行動原則は「消費者起点、現場主義、個の尊重とチームワーク、グローバル視点」である。

 これらを明文化する際、尾崎社長は一語一句、言い方や順番を精査。花王での30年の経験を思い浮かべながら、どうすれば読む人の心に響くかを考えた。「社長としての私の一番の役割は、企業文化をより良いものにして次の世代にバトンタッチすることだ」。グローバルで浸透させるために9カ国語版の小冊子を作った。

 さらに「企業文化情報部」を設置した。国内外で花王ウェイを理解してもらうワークショップを開催し始めた。現在特に力を入れているのはアジアで、既に9カ国12拠点で計12回のワークショップを開催している。

 尾崎社長の仕事は会議が多い。会議中に議論の方向性が花王ウェイに沿っているかどうかを、口に出して常に確認させている。例えば、各国でゼネラルマネジャーを集めて開く会議は戦略や数値目標などが歯切れよく出る。そんな時に、「その戦略は本当に消費者起点で考えたものか。流通や株主のことを考え過ぎて短期的な思考に陥っていないか」と原点に引き戻す。市場環境が大きく変化している国にもかかわらず発想に変化がなければ、「絶えざる革新をしてない」と指摘する。

 もちろん、言語や文化の違う海外で花王ウェイのすべてを理解してもらうのは、並大抵のことではない。尾崎社長は、時間をかけていいから価値観や行動原則を1つずつ真に理解していってほしいと考える。海外の各拠点に「絶えざる革新」「消費者起点」といった花王ウェイに関連した年間テーマを1つずつ与え、成果を出すようにハッパをかける。1年間徹底的に実践して失敗や成功の経験を積むことが、真の理解に欠かせないと見ている。

有効なストーリーは現場にある


花王のハウスホールド研究の現場に声をかけてまわる尾崎社長(写真右端)。
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 尾崎社長の“布教活動”はこれだけではない。「尾崎社長が訪ねるモノづくりの現場」という名のキャラバンを2005年から四半期に1度ずつ実施してきている。「現場主義」「個の尊重とチームワーク」という具合にテーマを1つずつ決めて、消費者相談センター、研究所、工場、販売会社などを訪問。各拠点で様々な部署の社員を集めて自由に議論させ、尾崎社長が花王ウェイの重要性を説く。その様子は、社内報を通じて全社員に知らせる。

 ある時は、生理用品の基礎研究者や応用研究者、営業担当者、開発者などを集めて、絶えざる革新をテーマに画期的な新製品を2004年になぜ開発できたかについて約2時間議論した。すると、「今までにないスキンケアの発想で商品を作ろうという高い目標があって、実現に向けて各担当者が一歩飛び抜けた活動をした」というストーリーが多数出てきた。そして尾崎社長は別の会議で、そのストーリーを引用しながら理念の重要性を訴える。

 尾崎社長は、理念を社員の心に響かせるには、理念を具現化したストーリーを引用することが大切だと言い切る。「理念の浸透に有効なストーリーは現場に行かなければ見つからない」