難関校への合格率を誇る、通信教育の名門が、顧客獲得のためのDM(ダイレクトメール)を原則撤廃する決断を下した。新たな会員獲得手段として期待をかけるのが、自社で運営するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)だ。先輩や同輩と話し合うネット上の「場」を形成し、顧客の囲い込みに挑む。

 「東大を目指すならZ会」。40年以上にわたって、受験生の間でこうささやかれている通信教育会社がある。

 静岡・三島駅のほど近くに本社を構えるZ会(旧社名・増進会出版社)は、質の高い問題ときめ細やかな添削指導で学力上位層の生徒の支持を集める。 2006年春の大学合格者に占める同社会員(注)のシェアは、東京大学で53.3%、京都大学では46.7%を占める。売り上げ規模では最大手のベネッセコーポレーションの10分の1にとどまるものの、難関校受験では強いブランドを築いてきた。1980年代に中学生コースを、1999年には小学生コースを開講し、2006年には教室運営と参考書出版の関連会社を統合して、総合教育産業としての布陣を強化する。

●Z会の会社概要
●Z会の会社概要

 同社の成長を支えた要因の1つは、教材の充実にある。かつては上位校受験向けの「難問」に定評があったが、中学、小学コースなどの展開に当たっては、学習の基礎固めの教材も拡充している。1990年代後半からこれらの教材のデータベース化に着手し、学年ごとに10万ページを超える教材を蓄積してきた。この中から、各会員の学力や授業の進度に応じて適切な教材を選択し、オンデマンドで編集、印刷する仕組みを整えている。本社と横浜の物流センターに設置したコールセンターで、会員や父兄から学習の進度や要望を聞き取り、最適な教材を提案する。こうしたコンサルテーションによって、各会員のニーズに応じたワンツーワンの教材提供を実現している。

 もう1つの強みは添削の質の高さだ。教職経験者や高学歴の主婦などを添削担当者として確保し、在宅作業を委託する。添削済みの回答用紙は、物流センターで再度チェックしたうえで会員に返送するなど、品質管理を徹底している。

本社と横浜にある物流センターが会員との接点。コールセンターでは会員から学習の進度や重点課目を聞き取り、教材の編集に生かす。添削の内容はセンターでチェックしたうえで、会員に返送する(横浜の物流センター)
本社と横浜にある物流センターが会員との接点。コールセンターでは会員から学習の進度や重点課目を聞き取り、教材の編集に生かす。添削の内容はセンターでチェックしたうえで、会員に返送する(横浜の物流センター)

「もう送らないでくれ」

 順調な成長を遂げてきたZ会だが、今まさに大きな転機に差し掛かっている。2005年に社長に就任した加藤文夫氏が、新規会員獲得のDM送付を原則撤廃するという方針を打ち出したのだ。

 かつてはクチコミや、書店での入会案内設置で会員を集めていたが、1980年代後半からはDMが主流となっていく。全国の自治体で住民基本台帳を閲覧し、児童、生徒のいる家庭のリストを作成してDMを送付する。こうした手法は多くの通信教育事業者が採用しているが、Z会は、2005年9月から住民基本台帳の閲覧をやめ、12月には不特定多数の家庭へのDM送付を打ち切った。資料請求があった家庭や、DMの継続発送を希望する意志を表示した家庭だけに DMを送付する。この結果、毎年1000万通以上あったDMの発送数が、2006年には10分の1以下になった。

 決断の背景にあったのは、2005年に施行された個人情報保護法の影響を受けて、住民基本台帳の閲覧や商用利用を規制する自治体が増加したことだ。さらにある出来事が、加藤社長にDM廃止を決断させることとなる。

 それは2005年6月にコールセンターにかかってきた1本の電話だった。「社長に言いたいことがある。もううちにはDMを送らないでほしい」。電話の主は告げた。「うちの息子は去年亡くなった。子供がいなくなったのに、DMを送り付けられる親の気持ちが分かるか」

「パルティオゼット」の参加者は、ニックネームで自分の日記を公開したり、特定のテーマに関するコミュニティーに参加できる。SNSを企画した寺西隆行さんは「書き込みの内容はすべて事務局がチェックし、不適切な投稿がないよう目を配る」と話す
「パルティオゼット」の参加者は、ニックネームで自分の日記を公開したり、特定のテーマに関するコミュニティーに参加できる。SNSを企画した寺西隆行さんは「書き込みの内容はすべて事務局がチェックし、不適切な投稿がないよう目を配る」と話す

 この切実な苦情が胸に響いた。住民基本台帳に基づいたDMの顧客獲得率は既に悪化していたが、それでも止めれば新規顧客が激減するのは目に見えていた。「悩みに悩んだが、結局すっぱりやめることにした。DMにかけていた費用を、新しい販促手法の開拓に向けようと腹をくくった」

会員が集う「場」を生み出す

 加藤社長の予想通り、2006年の会員数は前年比1万3000人減の約26万人となった。2007年1月期の売り上げも減少が見込まれている。

 しかし、この間に新しい販促手法の開拓が進められていた。2005年の夏から始まったSNSの開発である。インターネット上で日記を公開し合ったり、コミュニティーで特定のテーマについて意見を交換したりする場をZ会が提供することで、会員とZ会の結びつきを強めて退会を防ぎ、新規会員の呼び込みにも役立てようというものだ。

 「『質の高い会員』『難関大学に合格したOB、OG』という当社の資産を、新規会員の獲得に生かせないか模索してきた」。SNSの企画に当たった経営企画部マーケティング企画課の杉山千秋課長はこう話す。当時流行の兆しを見せていたブログを使って、Z会のOBやOGが勉強の仕方やZ会の活用法を公開するなどの案も検討したが、不特定多数の読者に情報を公開するブログでは、Z会に新規会員を呼び込む効果が期待できなかった。

 そんな時、SNSというアイデアを持ち込んできたのが大学受験事業本部顧客支援部の寺西隆行氏だった。会員向けのサービスとして掲示板や携帯サイトなどの運営に携わっていた寺西氏は、情報の閲覧や選択がより容易なSNSに興味を持っていた。mixiやGREEなど主要なSNSが日本でサービスを開始し始めた時期で、SNSの認知度はまだ低かったが、寺西氏から話を聞いた杉山課長は「新規顧客開拓と、既存会員のサービス拡充という2つの目的を満たせると確信した」という。

 こうして2006年2月に「パルティオゼット」が稼働する。SNSへの社会の認知度が急速に高まったことも寄与して、7カ月後には会員数が1万人を突破。2006年末には1万3000人に届く勢いとなった。勉強法や志望校に関する情報交換だけではなく、孤独な受験生が思いを打ち明けあったり、OB、 OGの経験を聞いたり相談したりできる場として活用されている。利用をZ会員に限定せず、Z会に資料請求したり、友達に招待されたりした生徒も利用できるようにした。パルティオゼットで利用者の生の声に触れることで、Z会への関心を高め入会に誘導するのが狙いだ。

トラブル根絶に管理を徹底

 教育機関が運用するSNSとして、パルティオゼットにはトラブル予防のための多様な仕掛けがこらされている。プロフィール、日記、コミュニティーなどへの書き込みは、すべて事務局が事前にチェックし、承認したものだけを公開する。個人情報や試験問題、著作権侵害にかかわる書き込みは公開されず、事務局からユーザーに注意を送る。「学び」に無関係なコミュニティーの乱立を防ぐため、コミュニティーの設立は事務局が行い、ユーザーには権限を与えない。メール機能も付けず、ユーザー同士の個人情報交換を禁止するといった具合だ。一方で、書き込みの検索機能を追加するなど、「受験生のナレッジポータル」としてのユーザービリティー向上にも取り組む。

 1日の日記書き込み数が1000件を超えるなど、活発に活用されているパルティオゼットだが、「現時点ではZ会員以外の利用が少なく、新規顧客の獲得にはまだ十分な効果を発揮しているとはいえない」と杉山課長は気を引き締める。今後はOB、OGの参加もさらに増やし、「生きたアドバイスが得られる SNS」との評価を確立していく。

加藤 文夫 社長
かとう ふみお氏●1948年生まれ。1972年東京大学農学部卒業後、トーメン勤務を経て1998年増進会出版社(当時)入社。2005年より現職

新しい「実験」で顧客に踏み込む

 1970年代まで「知る人ぞ知る」存在だった当社の認知度を上げ、急成長に大きく貢献したのがDMだった。しかし大量送付を続けた結果、「Z会は知っているけど、自分とは関係ない存在」と思う人も増え、近年は顧客獲得効率が悪化していた。不特定多数へのDM廃止は大きな決断だったが、当社に興味を持つ顧客を探し出すために、ゼロから販促手法を組み立てていく。

 1998年に商社から転身したが、「Z会はマーケティングには臆病な会社だ」と感じた。いい教材を作って、DMを送ればいいという姿勢で、それ以上顧客に踏み込もうとしていなかった。顧客を怖がっていたのかもしれない。

 今後は新しい実験にどんどん取り組む。2007年春には「合格Z 1万人の声」というキャンペーンを実施する。Z会のOBやOGの体験談をデータベース化し、携帯やパソコンから検索できるようにするものだ。大規模な宣伝広告にもまして、当社の良さを確実に伝える力を持つはすだ。こうした生の声を蓄積するインフラとしてパルティオゼットには大きな期待をかけている。

 2006年に教室運営や出版の子会社を統合し、今後は通信添削と対面学習やDVD教材などを組み合わせたハイブリッドな学習プログラムを開発する。会員の個性や目標に応じてソリューションを提案する力が成長の鍵を握る。(談)