ソニーがVAIO事業の売却を決めた。1996年に米国で、国内では翌97年にパソコン事業に再参入して以来、AV機能の搭載や、スタイリッシュなデザインで他社製品との差異化を図り独自のポジションを築いてきたが、昨今のパソコン業界を覆う減速基調、特にコンシューマー分野におけるそれにあらがうことができなかった。その動きを加速させているのが、アップルに代表されるスマートフォン、タブレットの急速な台頭だ。
だが、かつてそのソニーとアップルの運命が交差した瞬間があった。アップルのスティーブ・ジョブズCEO(最高経営責任者、当時)自らMac OSが動作するVAIOを手に、ソニーに協力を呼びかけたのだ。『スティーブジョブズは何を遺したのか』(2011年、日経BP社刊)を執筆・監修したITジャーナリスト林信行氏による、当時のインタビュー全文をここに改めてご紹介する。(編集部注:記事中の記載内容はすべて執筆当時のものです)
アップルのライバルの中でも格別な存在なのが、日本のソニーだ。スティーブ・ジョブズ急逝の日からちょうど12年前、1999年の10月6日、新しいiMacの発表に登壇した彼がまずステージに映し出したのが3日に亡くなったばかりの盛田昭夫氏の遺影だった。ジョブズは、自身が子供だった頃から、いかにソニーの製品にワクワクしてきたかといった思い出を語った後、「 今日、これから発表する製品に彼もほほ笑んでくれるとうれしい」と製品発表を始めた。そんな特別な関係にあったソニーで、ジョブズとの親交も厚かった元ソニー社長の安藤国威氏(編集部注:インタビュー当時はソニー生命名誉会長)にジョブズ急逝後の思いを聞いた。
(文中敬称略)(聞き手=林 信行)
AV志向のコンピューターを世に送るパートナー
安藤によれば、ジョブズとの最初の出会いは、ソニーがパソコン市場に打って出るVAIOシリーズの立ち上げを任された97年ごろだという。
「ソニーは、何か新しいことをやるとなると、すぐに関係のトップと話を始める。マイクロソフトにしても、インテルにしても、日本法人ではなく、いきなり米国本社に飛んで(マイクロソフトの)ビル・ゲイツや(インテルの)アンディ・グローブと会いました。アップルにもクパチーノ市の本社に直接会いに行きました」