徳島県上勝町。人口2000人足らずの小さな過疎の町は「葉っぱビジネス」の成功で世界的に知られるようになった。料理を飾る“つまもの”用の葉っぱを農家が収穫し、全国の青果市場に卸す。今や、タブレット端末を駆使して年収1000万円を稼ぐ高齢者もいる。最近、映画にもなった“奇跡の実話”の立役者、いろどりの横石知二社長に事業創造とIT活用の勘所を聞いた。

葉っぱビジネスを始めたきっかけは何ですか。

1979年3月に徳島県農業大学校を卒業。同年4月に上勝町農業協同組合に営農指導員として入社。86年に葉っぱビジネスの「彩(いろどり)」を開発し、91年に特産品開発室長に就任。96年4月に上勝町に転籍。2002年4月に、いろどりの取締役に就任。05年5月に代表取締役副社長。09年5月より現職。1958年9月生まれの53歳。(写真:松田 弘)

 最初から、葉っぱをビジネスにしようと思ったわけではありません。地域にあるものを生かせるビジネスはないだろうかと考えたのがきっかけです。ちょうど、みかんが寒害に遭って壊滅状態になった1981年のことです。

 町の主な産業はみかん栽培と林業と建設業でしたが、ずっと右下がりでした。人口もどんどん減り、このままではどうにもならないといった状況で、みかんの木が枯れて非常事態になったのです。でも、私は町を変えるチャンスだと思いました。何か事が起こったときこそ変化が生まれますからね。

 ただ、町で会議を開いて新しい事業を検討しようとしても、うまく行きません。田舎では会議に出てくる人は決まっていて、ああだ、こうだと言うだけで何も決まらない。言葉は悪いですが、この人たちは会議に出るのが仕事なので、会議をしたらそれで終わりです。

 そのとき思ったのは、やってみせるしかないということです。みんなでやろうとしても無理で、少人数でもよいから、何かを始めて形を作るしかない。そして、一緒にやってくれるのは会議に出る人ではなく、女性や高齢者でしょうから、その人たちができることは何かとずっと考えていました。

最初は全く売れなかった

(写真:松田 弘)

では、葉っぱを売ることをいつ思い付いたのですか。

 料理店で、近くの席にいた女性客たちが「この葉っぱ、かわいいね」「もって帰ろうか」なんて話をしていたのです。「これだ!」と思いました。葉っぱなら山にいっぱいあるし、軽いから扱いやすい。ですから、葉っぱを売ることが先にあったのではなく、考えていた事業の条件に合うものが、葉っぱだったということなのです。

事業の立ち上げは順調だったのですか。町の人や顧客の評判はどのようなものでしたか。

 全くうまくいかなかった。まず誰も賛同してくれません。「ゴミを拾ってまで生活しとうない」と言われてしまいました。誰も、葉っぱが市場に出す価値のあるものだと思わなかったのですね。

 なんとか数人のおばあちゃんを口説いて事業を始めました。でも全く売れません。理由が分からないので、料理人のところに商品を持って行き意見を聞いたら、「こんなもの使えない」との反応でした。「料亭の現場を知っているのか」と聞かれ、「知らない」と答えたら、「現場も知らずに、こんな商売をするな」と厳しい言葉が返ってきました。

 じゃあ現場に行ってみようということで、料亭を訪ねたのですが、入れてくれません。強引に入ったら、店の人にそれこそボコボコにされてしまいました。家に帰って家族に話したら、「そんな目に遭うぐらいなら、料亭に客として行って勉強したらいい。家にお金を入れなくていいから」と言ってくれました。

 お陰で現場のニーズを学ぶことができました。葉っぱの形がそろっているとか、この料理にはこの形の葉っぱを合わせたいとか、いつからあの葉っぱが欲しいとかいったニーズです。そうしたニーズに対応した品ぞろえにしたら、ようやく売れるようになりました。

そうした苦闘の中でも、このビジネスは必ず成功するという信念をお持ちだったのですか。

 必ず成功するとまでは思っていませんでした。ただ、一度やり始めたことは何が何でもやり通すという粘り強さは、誰にも負けません。そもそも、10人が10人とも「いける」と言うようなものをやっても、成功するはずがありません。それでうまくいくなら、とうの昔に誰かがやっています。