メディアの在り方や法と経済学、セキュリティなど、幅広い分野で活躍する情報セキュリティ大学院大学学長の林紘一郎氏。林氏は「ネット中立性の議論は神学論争になりがち。むしろ混雑したときの費用負担を誰がするのか。経済学的な問題に割り切ったほうがよい」と語る。

(聞き手は堀越 功=日経コミュニケーション、取材日:2011年10月14日)


世界的にネット中立性の議論が再燃している。

情報セキュリティ大学院大学 学長 林 紘一郎氏
情報セキュリティ大学院大学 学長 林 紘一郎氏
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 ネット中立性の議論には、哲学的な論争と実利的な論争の二つが混ざり合っている。その二つは明確に分けて考えたほうがよい。

 哲学的な論争は、いわばインターネットのエンドツーエンドをどのように考えるのかという論争と言える。例えば、インターネット寄りの人はエンドツーエンドのことを「E2E」と書く。いわば末端の端末にインテリジェンスがあり、Endに重きを置く立場だ。これに対して通信事業者は「EtoE」と書き、伝送路に重きを置く考えだ。

 かつて、インターネット寄りの論客と言えるハーバード大学のローレンス・レッシグ教授と議論したことがあるが、彼らは通信事業者寄りの考え方に対して聞く耳を持たない。こうなると、これは哲学というより「インターネット原理主義」といった宗教に近い。

 確かに米国では米AT&Tの独占が20世紀の初期に確立し、50年から60年の間、端末をつなぐには許可を得なければないなど弊害が大きかった。これを歴史的事実として批判することには同感だ。しかしそれが故に、あらゆるネットワーク構成が、エンドにインテリジェンスを持たせ、ネットワーク部分をダム(土管)にしなければならないことが証明されたわけではない。

 このようにインターネットの原則についての論争は、神学論争になりがちだ。ネット中立性の議論は、むしろ実利的な費用負担を誰がするのかという、経済学的な問題と割り切ったほうがよい。

ユーザーの立場で困るのは、ネットが混雑したときの費用負担問題だ。

 ネットが混雑したときの費用負担の問題だが、まず現状では、インターネットのインフラコストを誰がどれだけ負担しているのかが正確に分かっていない。区分経理もない。まずはみんなで数字を出すところから始まるのではないか。

 例えば現在、インターネットの低利用者は、定額制の料金プランで実際は損をしている。しかし多くのユーザーはやめない。もしかしたら心理的に、みんなと同じプランということで、やむを得ず利用している可能性もある。しかしネットのコスト構造を明確化していくことで、ユーザーも経済的に合理的な選択をするようになるかもしれない。

「混雑」の問題のほかの論点は。

 「混雑」の問題に加えて、「迷惑」の問題があると考えている。ウイルスやスパム、児童ポルノなど、ネットにとって、本来運んでほしくない「迷惑」をどうやって除去するのかという論点だ。

 迷惑を除去するには、本来、インターネット・サービス・プロバイダー(ISP)や通信事業者など仲介者に責任を負わせるとやりやすい。また法と経済学の考え方では、不法行為の損害賠償のリスクを回避するのに、最もコストが安い立場のプレーヤーに負わせる理屈がある。そうなると、やはりISPや通信事業者の設備にフィルターを入れて、迷惑を除去する形が一番よい。

 ただ迷惑を除去するために通信の中身を見るとなると、これは憲法的な言論の自由や検閲の禁止とぶつかる。

パケットの中身をどこまで見てよいのかという点で、「通信の秘密」が金科玉条になっているという意見もある。

 確かにそれはある。私は、政府もオブザーバーとして参加する民間団体「児童ポルノ流通防止対策専門委員会」の委員長だが、このような場で警察庁と総務省が衝突し、だんだん神学論争に近くなっている。

 ただ私としては、どちらかの肩を持たなければならないのであれば、言論の自由を守る立場にならざるを得ない。そちらのほうが回復が難しく、壊れやすい概念だからだ。その一方でナショナルセキュリティの面で、攻撃に対してどのように対処するのかという問題もある。このバランスを考えるべき時期にきたのではないか。