ITや通信関連に詳しい弁護士の高橋郁夫氏。高橋氏は「ネット中立性の問題は海外では幅広い分野にまたがって議論がされているが、日本では“通信の秘密”を前提として大部分が論じられており、ネット中立性で議論される範囲が狭い」と語る。ただ日本では当然と考えられている“通信の秘密”そのものにこそ、もう一度議論すべき点があると訴える。

(聞き手は堀越 功=日経コミュニケーション、取材日:2011年10月12日)


世界のネット中立性の議論では、日本における主なテーマである「利用とコスト負担の公平性」以外にも多くの論点があるのか。

弁護士 宇都宮大学講師 高橋 郁夫氏
弁護士 宇都宮大学講師 高橋 郁夫氏
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 海外では、日本の主な論点である利用と対価の公平性にとどまらず、どこまでパケットの中身を見てよいのか、有害トラフィックに関する考え方、著作権侵害に関する考え方、インターネットプロバイダーのボトルネック的役割と公平競争の考え方など、幅広いテーマで議論されている。

 ただ日本では、利用と対価の公平性以外の論点は、電気通信事業法の第4条にある「通信の秘密」によって既に論じられているテーマでもある。

 「通信の秘密」とは、(1)積極的知得の禁止、(2)窃用の禁止、から成り立つ。その解釈が及ぶ範囲は極めて広い。例えば、海外では通信事業者が特定のパケットを差別的に扱うことの是非がネット中立性の論点の一つになっているが、日本では「通信の秘密」によって、そもそもパケットの中身を積極的に調べられない。中立的に扱うほかなく、海外における論点は既にクリアされている。

 ちなみに日本の「通信の秘密」は、1900年に成立した電信法のときから存在し、100年以上の歴史の中で議論されてきた。私は日本中にあるあらゆる文献に当たって「通信の秘密」の歴史を調べたことがあるが、電信法の制定に当たってはデンマークやブラジルの法律なども参照していた。

日本では「通信の秘密」の存在に加えて、著作権侵害や有害トラフィックの考え方の議論は、ネット中立性の枠の中ではなく個別に進んでいる。

 その通りだ。ただ「通信の秘密」については、その対象が広くユーザーの同意という要件が厳しすぎる一面がある。「通信の秘密」が不可侵の概念となっている面もあり、現実に合わせて見直していく必要があるのではないかと考えている。

具体的にはどんな分野について議論が必要と考えるのか。

 例えばセキュリティの面だ。最近のセキュリティのコアな人々の間では、「サイバーインテリジェンス」という言葉がキーワードになっている。国の重要インフラに対する攻撃の可能性を先に検知し、攻撃を未然に防ぐような「ナショナルセキュリティ」の活動だ。情報を分析して、未然に自分たちの国や資産を守ることが求められている。きれいごとだけでは済まない状況が訪れている。

 このような活動に向けては、DPI(Deep Packet Inspection)によるパケットの中身の分析が必要だが、これは「通信の秘密」の「積極的知得」に該当し、現状、日本では難しい。

 また、「通信の秘密」のユーザーに対する同意要件の厳しさが、ネット上の犯罪行為の匿名性を裏から支えているという側面もある。日本では捜査令状が無ければデータを取れないが、英国では法執行機関であれば取得でき、犯罪に対する抑止力が働いている。

DPIの実施については、利用者のプライバシー保護も考える必要がある。

 もちろんだ。どんな利用者情報を取得するのかを明示し、それによってどれだけのメリットがあるのかを説明したうえで、利用者がそれに納得するのであれば、DPIを実施してもよいのではないか。プライバシーを絶対に守るという考え方もあるが、それでは行き過ぎのようにも見える。

 あくまでDPIの実施はトレードオフであり、利用者にも利益が還元される。選択の範囲を広げる話であり、利用者が納得の上で利用するのであれば、決して悪いことではないと考えている。