米アップルで1980年から1986年まで経営幹部としてスティーブ・ジョブズ氏を支え、同氏についての著書『ジョブズ・ウェイ』もあるジェイ・エリオット氏(現米ヌーベルCEO=最高経営責任者)は、電話インタビューに応じ、ジョブズ氏と共にソニーの盛田昭夫氏を訪ねた時の思い出や、アップルでの製品開発の手法などについて語った。一問一答は以下の通り。

(聞き手は酒井 耕一=日経情報ストラテジー

米ヌーベル CEO ジェイ・エリオット氏
米ヌーベル CEO ジェイ・エリオット氏

1980年代にジョブズ氏と日本を訪問していたそうだが、目的は?

 ソニーやキヤノン、そのほかのプリンター会社を訪問していた。「マッキントッシュ」向けの部品やプリンターについての戦略を練るのが目的だが、特にソニーへの訪問にスティーブは力を注いだ。

 ソニー製のディスクドライブを採用するためもあったが、むしろ大切なことは創業者の盛田昭夫氏と話すことだった。私も同行したが、盛田氏は企業家精神に溢れて素晴らしい人物だった。スティーブは「ウォークマン」が好きで、それについて話していた。ある時はソニーの研究所に行き、技術や製品をじっくり見たこともある。さらに夕食に招待してもらって盛田氏と話したが、人生でも数えるほど素晴らしい時間だった。

日本市場をどう捉えていたのか?

 ご存知の通り、マッキントッシュはなかなか日本市場に浸透しなかった。私も当初は東京事務所を担当していたのでよく覚えている。売れ行きは徐々に伸びたという感じだ。「漢字」への対応にソフトウエア開発などの時間を要した。ウィンドウズ製品の方が売れていた。だが日本への関心は高く、情熱を注ぎ続けていた。それが現在の「iPhone」や「iPad」の大成功につながっていると思う。

アイコンやグラフィックで画面を見やすくする発想は、レストランのメニューから生まれたというが?

 スティーブは常に発想をオープンにして、何からでも学んでいた。特に時計でも自動車でも「フィーチャー(見た目の特徴)」を気にしていた。ある時、サンフランシスコのイタリアンレストランで、私と製品開発の話をしていたら、メニューにきれいな料理の写真が載っていた。スティーブはそれに感銘を受けて、そこからグラフィックを取り入れて、特徴があり、使いやすい製品作りに活かした。

現在のアップルの躍進は、インターネットの登場が起点となっている。

 スティーブは、すべての情報と機器は「インテグレート(統合)」され、かつ「シンクロナイゼーション(同期化)」されるといち早く気付いた。ほかのパソコンや電機メーカーは十分に「つながる」ということを理解できなかったのではないか。音楽を聴いたり、動画を見たり製品は使いやすさが大切になり、コンテンツは外部から入手できる。小売りにおいても同じこと。パソコン販売店は製品を売る場所だけでなく、性能をわかりやすく示す「デモ」の場となってアップルと消費者をつなげている。小売店を売る場所だけでなく、消費者とつながる場所といち早く捉えたのもスティーブだった。

古い話だが、そもそもジョブズ氏とレストランで偶然に言葉を交わし、それでスカウトされたとか。

 私はもともとIBMで働いていた。だがパソコンに興味があり、また組織の若いベンチャー企業に勤めたいとも考えていた。ある日、レストランでコンピュータに関する新聞を読んでいたことから、スティーブと会話を交わした。彼は私よりずっと若く、エネルギーにあふれていた。後日、本当に一緒に仕事をしないかという話になり、創業間もないアップルに入った。

ジョブズ氏についての忘れ難い思い出は?

 やはり一緒に働いていたときに仕事へのビジョンや情熱の高さを感じたことが大きい。アップルを離れてからも時々、会うことはあった。マック関連のイベントや会議で「やあ元気」という感じで言葉を交わした。私は自身の会社を経営していたので、深い話はしなかったが、彼の姿勢をよく思い出していた。だからこそ普遍的に通じると考えて、スティーブのリーダーシップについての本をまとめたほどだ。

 振り返るとウォークマンに憧れていたスティーブが、それに代わるiPodを世に送り出したことも、極めて印象深い出来事と感じている。