2009年に横浜で開催されたCG関連の国際的な学会SIGGRAPH(米国)のアジア版、SIGGRAPH Asiaの組織委員長を務めた稲蔭正彦・慶應義塾大学教授。同学会が2010年12月、韓国・ソウルにて開催されるにあたり(インタビュー記事の最後に韓国で開催されるSIGGRAPH Asia 2010の解説記事を掲載)、CG業界における昨年から今年にかけたトレンド、日本のCG研究者の現状と課題について聞いた。(聞き手は渡辺 一正=nikkei BPnet)

稲蔭先生はSIGGRAPH Asia 2009(横浜開催)の組織委員長でもありました。SIGGRAPH Asiaがなぜ必要だったのか、教えてください。

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科委員長 兼 教授の稲蔭 正彦氏
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科委員長 兼 教授の稲蔭 正彦氏

 そのきっかけは、米国で開催しているSIGGRAPH本体のキャパシティが限界に近づいていたことです。もう一つのカンファレンスを立ち上げるなら、急成長しているアジアで開催するべき、という流れで、SIGGRAPH Asiaを作ることを検討したそうです。

 米国SIGGRAPHに参加する人数が、3番目に多い国は日本です。日本の研究成果やコンテンツも多数発表されています。一方、最近は中国人の論文が採択される率が高くなり、アジア全域でSIGGRAPHにかかわる人数が増えています。しかし、中国人が米国に入国するためのビザの取得は難しく、一気に増えません。そこで、アジア地域で別のSIGGRAPHを開催したら、中国人も参加しやすくなるのではないか、という結論に達したようです。

 記念すべき第1回目のSIGGRAPH Asia 2008(シンガポール開催)は、きっとすべてのことが試行錯誤だったと思います。参加者は約3000人となりましたが、初めての開催ですから認知度も低いし、周辺のアジア各国からの研究者のボリュームが実はそれほど多くなかったのかもしれません。シンガポールは中国人にとっては入国しやすい国の1つのはずですが、それほど中国人研究者が集まらなかっただけなのかもしれません。

SIGGRAPH Asiaと、本家のSIGGRAPHに違いはあったのでしょうか。

 SIGGRAPH Asia(横浜)の開催準備を進めて分かってきたのが、参加者の違いが如実に表れるということでした。米国のSIGGRAPH主催団体であるACM SIGGRAPH(米Association for Computing Machineryの分科会)はそれまであまり実感していなかったようですが、アジアでは国が違えば、文化もルールもかなり違うということです。米国の西海岸と東海岸の違いという程度の問題ではなかったのです。

 日本で開催するためには、第1回に開催したシンガポールのSIGGRAPH Asiaとプログラム内容を変えなければなりませんでした。なぜかというと、参加者のほとんどが、開催国の人間ばかりになるからです。

 横浜で開催したときは、参加者の84%が日本人でした。そうした結果が見ていたので、日本でSIGGRAPH Asiaを成功させるためには、日本人のCG研究者にとっての得手不得手、興味の対象は何だろうということを突き詰めました。

 米国SIGGRAPHの「エマージング・テクノロジー(E Tech)」(注1)というカテゴリで、日本の研究が採択される割合が高く、ほとんど独占に近い形になっています。それだけ日本での研究が活発な証拠ですので、SIGGRAPH Asiaでは、E tech部門を充実させる必要がありました。

 それから「アートギャラリー」(注2)も、日本開催では不可欠なものと考えました。日本には世界的にも有名な河口洋一郎氏のようなデジタルアーティストがたくさんいるし、国内にはメディア芸術祭などの展示会も数多く催されているからです。

 また、日本は米国と同じように、「CGに関する研究」「その成果を使った映像プロダクション」という面では、CG黎明期から続けてきた長い歴史があります。だからこそ最先端のCG研究論文を発表する場である「テクニカルペーパー」、この1年間の映像プロダクションの成果を発表する「コンピュータ・アニメーション・フェスティバル」という映画祭は、絶対外せない要素でした。SIGGRAPH Asia横浜は、これら4種類の要素が核となりました。

 ベースとなる参加者が違うと、興味の対象に違いがあります。より参加したいというモチベーションを高めるようにプログラムを組めば、本家の米国SIGGRAPHとも違うし、第1回目のSIGGRAPH Asia(シンガポール開催)とも差別化できます。結果的に、どちらか一方に参加すればいいのではなく、両方参加しようということにつながると思いますし。

注1 エマージング・テクノロジーは、CG映像技術と操作する装置などを使って融合させたインタラクティブ性のある発表展示のこと。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)などの技術展示も、これらのカテゴリに属される。
注2 アートギャラリーは静止画や動画、インタラクティブなどのカテゴリ別に、アーティストのデジタルアート作品を展示するコーナー。パフォーマンスも実施される。

日本では、なぜE techで発表する研究が盛んなのでしょうか。

 なぜでしょうかね。僕が慶應義塾で研究室を始めた時、「CG映像を作りたい」「エフェクトやりたい」という映像系を志す学生は確かにいました。しかし、同数か、もっと多くの学生が、「触れるインタラクティブな映像作品」を作りたいというアイデアを持っていたのです。そうしたアイデアを発表する場所が実はあまりなくて、一番分かりやすいのがSIGGRAPHのE techだったのです。

 それで、いざ申請してみると、日本の各地の大学が似たような研究をどっさり出していたのです。各研究室では長期間そうした研究をしているものだから、奇抜なアイデアもたくさんあって、結果的にSIGGRAPHでは採択率が高いエリアになっているのだと思います。

 欧州の参加者からは「なんで日本の学生は変なことを思いつくのか」と言われます(笑)。たぶん、鉄腕アトムみたいなロボットを作りたいと思って、ASIMOを作るといった動機と似ているものがあるのでしょうか。自然発生的にアイデアがたくさん出てくるのです。

 現在、僕の研究室では、AR(拡張現実:オーギュメンテッド・リアリティ)のように、実空間を組み合わせたプロジェクトや場所情報を取り込んだソーシャルメディアのプロジェクトなどがありますが、五感を複合的に活用するプロジェクトの可能性を探求し始めています。