世界がRubyを愛する理由  まつもとゆきひろ氏 ネットワーク応用研究所 特別研究員

海外で数十万人と言われるユーザー,二千数百件の関連ソフトウエア開発プロジェクト,数百人が詰め掛ける米国のカンファレンス---オープンソースのオブジェクト指向プログラミング言語Rubyは,日本で生まれて世界で使われる数少ないソフトウエアのひとつだ。なぜRubyは世界の技術者に支持されたのか。

(聞き手は高橋 信頼=ITpro副編集長,写真は新関 雅士)


Rubyは海外に多くのユーザーがいます。

 正確な数はわかりませんが,数十万人と言われていますね。もしかしたら100万人以上いるかもしれません。

英語ユーザーの投稿が日本語の10倍

 日本より海外のユーザーのほうが多いようです。メーリング・リストへの投稿量で言うと,英語のものは日本語の約10倍あります。

 Ruby専門のカンファレンス(Ruby Conference)は日本よりも海外で先に始まったんです。米国のRubyConfは2001年からから行われています。毎年行われていて,今年は約340人が参加しました。ヨーロッパのEuruko(European Ruby Conference)は2003年が第1回です。日本でも2006年にRubyKaigiが開催されました。

 海外でのRuby以外のカンファレンスとしては2001年にLinux ExpoParisとデンマークのJAOOに呼ばれて講演しました。これが最初の海外での講演ですね。JAOOの時にちょうどニューヨークで9.11のテロが発生し,米国からの参加者があおりをくらって1週間足止めされていたのを覚えています。

 英語のRuby関連書籍は,現在三十冊以上が出版されています。2000年に米国で「Programming Ruby」という本が出版されたのが最初です。売れ行きはPerlやPythonの関連書籍よりもいいそうです。

 Rubyforgeという,Ruby関連のオープンソース・プロジェクトをホスティングしているサイトがあって,そこには2500以上のプロジェクトが登録されていますが,ほとんどは海外の開発者が中心となっているプロジェクトですね。

赤ん坊をあやしながら考えた言語のデザイン

なぜRubyを作ろうと思ったのですか。

まつもと ゆきひろ氏

 もともと言語が好きだったんです。最初は自然言語をデザインしたいと思ったのですが,さすがにそれは無理で。プログラミング言語なら自分で作れると思いました。

 大学ではプログラミング言語研究室に入りました。構想しただけの言語はいっぱいありました。名前だけ考えたものも数えると11個くらい(笑)。実際に動いたのは2つかな。学生の時に作ったのがC言語にEiffel風のオブジェクト指向拡張を施したものです。C言語に変換するトランスレータを作ったのですが,多重継承についての考察が不十分で性能が出なくて(笑)。

 Rubyを作ろうと思ったのは,同僚だった石塚圭樹さんと「Perlは手軽に書けるが,読むのがたいへん。いいオブジェクト指向のスクリプト言語があればいいのに」といった話をしたことがきっかけです。当時オブジェクト指向スクリプト言語のPythonはすでにありましたが,正規表現(文字列のパターンを指定して検索や置換を行う処理)がビルトインされていなくて,Perlのようにさっと書けない。Perlのうれしさと,オブジェクト指向の美しさを兼ね備えた言語を作ろうと思いました。

 当時長女が生まれたばかりのころで,彼女をあやしながら「そうだ,こんなアイデアはどうだろう」と,思いついたことをメモしたのを覚えています。名前は,Perlにあやかって宝石にすることにして,石塚氏の誕生石であるルビーを選びました。