現実世界の映像に情報を重ね合わせる「拡張現実(AR)」。20年来研究が続いてきた技術が今,パソコンや携帯電話の性能向上によって花開こうとしている。しかし本格的なアプリケーションの普及はまだこれから。ユーザー発の新発想が求められている中,誰もが試せるSDK「ARToolKit」を開発した奈良先端科学技術大学院大学の加藤博一教授に,AR研究の現実を聞いた。

(聞き手は,武部 健一=日経ソフトウエア,高橋 秀和=ITpro


ARToolKitが世に送り出されたきっかけは。

写真●「ARToolKit」を開発した奈良先端科学技術大学院大学の加藤博一教授
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 学生時代に画像解析を研究テーマにしていて,その留学先でARに触れたのが始まりです。1998年の3月に留学したワシントン大学で,さて「何を研究しようか」と思ったときに,同大のHuman Interface Technology Lab(HITLab)でARを研究テーマに選んでいたMark Billinghurstに出会いました。

 当時の彼はARの研究を始めたばかりで「(ソフトウエアなどの)物がない」と言う。その頃はリアルタイムの画像解析が,それ以前よりは手頃な1000万円くらいのコンピュータでできるようになった時代で,軽い気持ちで「じゃあ僕が作ろう」とARToolKitの開発を始めました。

 最初のデモは1999年のSIGGRAPHです。そこで「皆が使えるようにしたら」という声があったので,非商用を条件に公開しました。そうしているうちに,明確なライセンス定義や商用利用の打診が出てきたので,非商用はGPL化で,商用ライセンスはMarkらが作ったARToolworksという会社で対応しました。

ARToolKitはC言語で書かれていますが,オープンソースなことからNyARToolKitのような派生版が数多く登場しました(関連記事)。ユーザーが作成したARアプリケーションがYouTubeやニコニコ動画で人気を集めています。

 フリー版はマニュアルをそれほど整備していないですし,商用版に比べればライブラリの構成も大ざっぱです。でもそれだけに,比較的すぐに動作するコードが書けるようです。サッとコードを書いて,ちょっとした立方体が拡張現実として実映像にリアルタイムでオーバーレイされる。「オオッ」と驚けるまでの時間が短いぶん,モチベーションを維持しやすいのでしょう。

ARToolKitは現実世界の映像とデジタル情報の重ね合わせの位置決めに白黒のマーカーを使うタイプです。これは10年前から変わっていませんが,マーカーを使うのが枯れた技術,そうではないのが先端技術,という位置づけになるのでしょうか。

 アプリケーションには,マーカーがある方がいいものと,ない方がいいものがあります。マーカーが目印になるときと,目障りになるときがあるからです。GPSや電子コンパスが使えないシーンも多いですから(関連記事),アプリケーションに応じて使い分ける,というのが答えになります。

 もっとも大学の研究では,チャレンジすることを目的としているため,位置合わせが難しいマーカーを使わない方式が主流です。それは自然な流れなのですが,マーカー周辺の技術はあくまでARを構成する技術の1つであって,ARそのものではありません。マーカーで解決できる要素の先を研究する方向性があってもよいと思います。

 手軽に使えるものではありませんが,英Oxford大のGeorg Klein氏がソースコードを公開した「PTAM(Parallel Tracking and Mapping for Small AR Workspaces)」もマーカーレスのARとして注目を集めています。

 PTAMのすごいところは,トラッキング(位置決め)とマッピング(情報の重ね合わせ)を並列処理しながら,普通のパソコンで十分なフレームレートを確保できていることです。優れた論文は数多くあっても,そのロジックをプログラムとして実装したときに性能が出ないのは珍しくありません。

 PTAMの公開によって,他のマーカーレスのAR技術の評価軸が生まれた面もあります。ARを評価する客観的な手法は確立していないので,公平な評価が難しい。PTAMのように誰もが入手できるマーカーレス技術があれば,PTAMよりは良い,悪い,という議論が成り立ちます。