[前編]IPv6マルチプレフィックス問題,案4の代表ISP方式は競争上問題

NTT東西のNGN(次世代ネットワーク)で,インターネット接続事業者(ISP)のIPv6インターネット接続サービスを利用すると通信に不具合が生じる「IPv6マルチプレフィックス問題」。NTT東西とプロバイダの業界団体である日本インターネットプロバイダー協会(JAIPA)はこの対処法について話し合いを重ねてきた。その経緯と方向性などについて,JAIPAの渡辺会長に聞いた。

NTT東西とのIPv6マルチプレフィックス問題を巡る交渉の経緯を教えてほしい。

 IPv6マルチプレフィックス問題の対策として,NGN上にトンネルを確立する「トンネル方式」とNGNのIPv6アドレスを利用する「ネイティブ方式」を検討した。

 トンネル方式でトンネル終端装置をISP網に設ける「案1」,これをNGN網に設ける「案2」,ネイティブ方式を「案3」として三つの案を提出したのは私だ。ただし,案3は技術的に可能な案を出したものであって,JAIPAが要望したわけではない。

 2008年4月からNTT東西とJAIPAは20回もの協議を行ってきた。JAIPAとしては,トンネル方式で見解をまとめている。

案3のネイティブ方式はJAIPAの立場からするとあり得ないというわけか。

 案3では本質的にISPの存在理由が薄れてしまい,多くのISPがダメージを被る。NTT東西がインターネット接続までを提供することになり,ISPは営業やサポート,課金程度しか役割を果たせなくなる。

 自律分散ネットワークというインターネットの趣旨にも反する。帯域制御やフィルタリングなどISPが独自の判断で導入しているサービスもなくなる。

案1は,ISPにとって大きな経費負担になるので除外されたのか。

渡辺 武経(わたなべ・たけつね)氏
写真:的野 弘路

 案1は考えられないこともないが,ISPが個々に自前で設備を整えるのは難しい。このため,NTTがトンネルを用意してISPが網改造料を支払う案2が望ましいという結論になった。

 今後は,NTT東西が案2で網改造料をどの程度の料金で提示してくるかを見ている。NTTが要求する網改造料が従来よりも高くなり,ISPが値上げ分を吸収できなくなることを危惧しているからだ。

 IPv4アドレスの枯渇が問題となり,IPv6を使わなくてはならない理屈は分かる。しかしユーザーから見ると,今のところIPv6のサービスはほとんどない。それなのにユーザー料金を値上げしたらどういう反応があるか分からない。

三つの案に加えて,一部のインターネット接続事業者から「案4」が提示された。

 案4は代表ISPが3社に限られるので競争上問題であると考えている。代表ISPではない一般のISPは,ルーティングのほか,フィルタリングや帯域制御の有無などネットワーク・ポリシーの自由度を持ち得ないことも問題だろう。

 代表ISPという言葉についても疑問がある。代表ISPは卸と小売の両方をやるのかさえ不明だ。代表ISPに相当の制約がないと,日本のインターネット接続が1社に収れんしかねない。

 しかも代表ISPとNGNの接続ポイントは東西各1カ所となっており,地域ISPは対象外である。これまでとやり方を変えざるを得なくなり,新規参入はほとんど不可能になる。

 案4は案3との違いでインターネット・トラフィック処理だけを代表ISPに任せると見ることもできるため,制度的な問題点の洗い出しが必要である。技術的にも問題点が多くあり,議論が必要なのではないだろうか。

IPv4アドレスの枯渇問題は十数年前から言われているが,ISPの現時点での危機感は。

 さすがに今度こそは危ないとみんなが思っている。キャリアグレードNATなどの対処策については今度の話の中でもあり,真剣に議論もしている。

ISPからは,NTT東西のNGNはどう見えているのか。

 NGNが提供するFMC(固定電話と携帯電話の融合)や位置情報など新しいサービスには期待している。ただ,インターネット上の何千万人のユーザーが使うサービスがNGNでも使えなければ,その成長に限界があるだろう。

 インターネットは既に電話と同じ,あるいはそれ以上に生活の中に溶け込んでおり,あって当然と考えている人がほとんど。こうしたインターネットで提供されるサービスをNGN上で使えれば良いはずだ。

日本インターネットプロバイダー協会(JAIPA)会長
渡辺 武経(わたなべ・たけつね)氏
1938年11月生まれ。東京都渋谷区出身。早稲田大学第一理工学部電気通信科を経て,1962年に富士通信機製造(1967年富士通に改称)入社。同社第一システム営業統括部長,国際営業本部副本部長などを経て1998年にニフティ代表取締役社長に就任。2000年には日本インターネットプロバイダー協会会長に就任した。その後,2004年にニフティ特別顧問,2006年にディー・エヌ・エー監査役へ就任した。2007年にニフティ顧問を退き,現在に至る。趣味は写真,旅行,食べること。

(聞き手は,松本 敏明=日経コミュニケーション編集長,取材日:2009年2月3日)