[画像のクリックで拡大表示]

今や検索サービスのみならず、クラウドコンピューティングの基盤(プラットフォーム)の提供者となりつつある米グーグル。同社がクラウドに邁進する理由は何なのか。ネットの世界をどう変えていこうとしているのか。クラウド戦略の担い手として米ビジネス・ウイーク誌の表紙を飾った経験もあるカリスマエンジニアのクリストフ・ブシーリヤ氏に聞いた。(聞き手は中村建助=日経ソリューションビジネス編集長、玉置亮太=日経コンピュータ)

グーグルの考えるクラウドコンピューティングの意義は何か。

 利用者にとってクラウドコンピューティングの利点は大きく二つある。一つは様々な選択の自由を与えることだ。WindowsマシンはもとよりMacbook Air、iPhone、BlackBerryなど、利用者のデバイスを問わない。OSも何でも良い。クライアントに必要なのは基本的にWebブラウザだけだ。同じアプリケーションに様々なデバイスからアクセスできる。

 もう一つの利点はコラボレーションだ。例えば私とあなたが各々のコンピュータから、Docsを使って同じドキュメントを編集できる。

 これまでは会話できなかった異なるコンピュータが、クラウドコンピューティングによって「会話」できるようになるわけだ。
 企業のIT部門にとっては情報システムのインフラを運用管理する必要もなくなる。これも大きな利点だ。

グリッドやユーティリティとクラウドの違いは何か

 よく同じ質問を受ける。ターミノロジー(用語の違い)に過ぎないという見方もできる。

 私が考えるに、グリッドは多くの場合に、連結した多数のプロセサの処理能力を効率的に使う処理形態として語られることが多い。こなすべきタスクを多数のプロセサパワーを使って同時・分散的にこなすわけだ。ユーティリティコンピューティングも、コンピュータ資源の提供に焦点を置いている意味で同様だ。

 一方でクラウドは、ユーザーが望む「アプリケーション」を提供することに重点を置いている。グーグルのサービスで言えばWebメールサービス「Gmail」やWeb検索、文書編集・共有の「Google Docs」などだ。コンピュータ資源の位置や構成を気にせずにメールやプログラム、ワープロ、スプレッドシートなどのサービスを利用できる。

 一般消費者向けのアプリケーションサービスがグーグルの特徴だ。クラウドコンピューティングにはセールスフォース・ドットコムやアマゾン・ドットコムといった大手の競合がいるが、彼らの対象は企業向けサービス。クラウド分野でグーグルはあくまで一般消費者向けのサービスに注力する。

 なぜならグーグルの収益源は広告収入。検索と連動した広告によって収益を上げている。つまり人々がネットで使う時間がより増えるほど広告の閲覧回数が増えて、グーグルの収益も増えていく。ネットにとって良いことはグーグルにとっても良いことなのだ。

クラウドの基盤サービス「App Engine」についてはどうか。

 最終的な狙いは同じ。開発者の「煩わしさ」を軽減して、魅力的なWebアプリケーションを増やすことで、より多くの消費者を引きつけてネットを活性化させることだ。

 App Engineは一般の開発者が作成したWebアプリケーションを、グーグルのIT基盤を使って動かせるようにするサービス。分散ファイルシステム「GFS」やオンラインデータベース「Bigtable」など、当社が自社サービスのために開発した基盤技術を利用可能にする。

 多くの開発者は開発環境の整備や負荷に応じたサーバー処理能力の増減、サーバーの運用管理といった作業に振り回されている。これらは開発者にとって、本来は不要な作業だ。また大多数のスタートアップ(新興)企業は、良いアイデアを持っていたとしてもそれを実装して世に広めるための資金が不足しているケースが多い。App Engineはこうした心配事から開発者を解放して、迅速にアプリケーションを開発・公開できるようにする。

 自社の独自技術であるGFSやBigTableを一般向けに利用可能にしたのは、世界中のデベロッパーにより良いツールを使ってもらいたいからだ。
我々はBigTableがいかにスケーラブルか、よく知っている。我々自身が使ってみて、そのスケーラビリティを実感している。

 開発者の生産性が高まりWebアプリケーションが増えれば、人々がオンラインで過ごす時間が増えることを意味する。これ自体がグーグルにとってよいこと。間接的にグーグルに利点をもたらすのだ。

 もちろんApp Engineを公開することで直接的な収益もある。例えば月間500万ページビューを超えるとプロセサ1コアにつき1時間当たり10~12セント、ストレージ容量1Gバイトにつき1カ月当たり15~18セントなどの料金を徴収する。しかし真の利点はもっと長期的なもの。繰り返しになるが、ネットにとって良いことこそが、グーグルにとって良いことなのだ。

エンタープライズ分野への進出はどうか。App Engineを企業情報システム向けに提供したり、企業に対してApp Engineでシステム開発をしやすくする環境を整備したりすることは?

 現在のところ、確かな話はできない。しかしApp Engineに関して言えば、企業向けアプリケーションを開発することは現在でも十分に可能だ。

 サードパーティが企業用途などを視野に入れてApp Engineの機能を拡張する動きが出ている。例えば「AppDrop」というサービス。これはグーグルのApp Engine向けに開発したプログラムを、アマゾンのクラウドサービス「EC2」上で動作可能にするものだ。

 App EngineはWebアプリケーションの稼働環境の一つであり、開発者の選択を妨げるものではない。現時点でAppDropはコンセプトの検証段階にすぎないが、とても興味深い。

グーグルは世界中に巨大なデータセンターを多数所有していると聞く。

 現状でもグーグルのデータセンターと処理能力は世界有数だ。今後も設備拡張の投資を継続する。

 最も改善すべき点はインフラ機器の消費電力効率と冷却効率だ。電力供給も大きな問題だ。

 グーグルのデータセンター構築方針は、安価な汎用サーバーを大量に使うことだ。決してスーパーコンピュータや大型サーバーを使っているわけではない。

 コモディティ(日用品)サーバーを使う理由は、価格性能比が向上する恩恵を受けやすいからだ。知っての通り、プロセサやメモリーの価格はどんどん下落しており、価格性能比の高い部品を容易に手に入れて置き換えることができる。コモディティなサーバーを使っているからこそ特定のメーカーに縛られることもない。

 その代わり、サーバー一台ごとの信頼性は決して高くない。個々のサーバーは故障することを前提に、ソフトウエアを使ってシステム全体で高い信頼性を保つようにしている。数百万ドルのサーバーを使うよりも、この方式の方がよほど高い信頼性を保てる。

クラウドコンピューティングが主流になるのは何年後くらいと考えるか。

 確かなことは言えないが、デスクトップに依存せずクラウドのサービスを使う人口は確実に増えている。個人の電子メールならばクラウドのサービスが提供する機能で十分だろう。オフィスソフトにしても、デスクトップソフトの全機能を使う人がどれくらいいるだろうか。学校や個人での文書作成や閲覧といった用途なら、Google Docsは十分な機能を提供している。コラボレーションの機能はデスクトップのソフトよりパワフルだ。

 企業にクラウドコンピューティングを使ってもらうためのチャレンジは、データの信頼性をいかに保ち、それを外に示すかだ。

 企業は自身でデータを保有したがる。セキュリティやデータ消失の懸念などから、社外にデータをあずけることにはどうしても抵抗があるものだ。

 私はよく銀行を引き合いに出してクラウドの利点を説明する。100年前、人々は個人でお金を保有していた。ベッドの下に隠したりしたものだ。しかし家が火事にあったり泥棒に入られたりと、様々なリスクがあった。

 そこで個人がお金を保有するよりも良い方法として、個人のお金を預かって安全に保管・管理する銀行という職業が現れた。

 データに関しても同じことが起こりつつあると言える。グーグルやアマゾンといった企業は、大多数のユーザー企業が個別にやるよりもずっと安全にデータを保管・管理できる。

 グーグルの場合、仮にどこかのデータセンターが災害などで機能しなくなっても、データは別のデータセンターへ常に複製・管理しているので、安全に保つことができる。

 もちろん企業が従来のソフトウエアを全面的にクラウドに置き換えるのは難しい。しかし今後数年で状況は大きく変わるだろう。

 なぜならクラウドコンピューティングがIT利用者に変化をもたらすスピードは、従来と段違いに速い。我々がGmailの機能を拡張すれば、その瞬間からすべてのユーザーが同様に新機能を利用できるようになる。デスクトップの電子メールプログラムを更新する場合と比べれば、違いは明らか。圧倒的にスケーラブルだ。

あなた自身が現在取り組んでいるミッションは何か。

 学術分野でのクラウドの応用や研究だ。

 教育関連では中国の大学と共同で、分散システム技術や分散アプリケーション開発といったクラウド関連技術の講義を支援している。

 研究支援活動としては大学などの研究者がクラウド上のコンピュータ資源を容易に利用できるよう支援している。具体的にはグーグルのGFSや分散処理システム「MapReduce」などだ。MapReduceとGFS技術のオープンソース実装である「Hadoop」も対象にしている。

 現在の具体的なテーマは、テラバイト級のデータを分散ネットワークでいかに効率的に処理するか。いわゆる「データ・インテンシブ・コンピューティング」だ。クラウドコンピューティングでは単体のコンピュータがテラバイト級のデータを蓄積・管理したりアクセス・分析したりする。ネットワーク接続したコンピュータ同士のスケジューリング調整やデータ転送の最小化などを検証している。