工学院大学の管村昇教授と研究室の学生は,AsteriskをベースにしたIP-PBX製品を活用して,地域医療向けのシステムを作り上げた。このシステムはどのように医療機関と地域住民を結びつけているのか,そして実証実験を通じて見えた効果は何かを聞いた。

(聞き手は山崎 洋一=日経コミュニケーション



地域医療のために開発したシステムとはどのようなものか。

写真●工学院大学 情報学部情報デザイン学科の管村昇教授
写真●工学院大学 情報学部情報デザイン学科の管村昇教授
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 電話で高齢者を見守る仕組みで,IVR(音声自動応答装置)を活用する。高齢者の住まいに電話をかけて,受話器を取るとかかりつけの医師の声でメッセージを流す。そこで,自分の状況を電話機のボタンで入力してもらう。「元気だったら1番」「少し心配なことがあれば2番」といった具合だ。使い方は簡単で,料金もかからない。

 こういう自動音声は,自動アンケートやいたずらに使われることもあるが,知らない人からかかってきても,電話を切ってしまうだろう。「いつもお世話になっている先生から電話がかかってきているので」と思ってもらえるところがポイントだ。使い慣れた電話を利用することもポイントである。

こうした仕組みを作ることにした理由は。

 工学院大は2年前から,セコム科学技術振興財団の支援を受けて「社会システムデザインプロジェクト」に取り組んでおり,そこで「医療にどういう問題があるかを洗い直そう」という話になった。その中で,プロジェクト参加者のつてで松戸の堂垂伸治先生と知り合った。地域の訪問医療や近隣のお年寄りの診療に非常に熱心な方だ。松戸は孤独死が多い地域で,それを予防する取り組みにかなり早い時期から取り組んでいる。

 患者さんが診療所に来ることもあるが,診療所側からも電話をかけて「どうですか」と地域の人を見守っている。しかし医者や看護師の労働時間が非常にかかる。そしてこれは少し意外だったが,受ける方も全員が必ずしも“アクセプタブル”ではない,少しおっくうだとか少し煩わしいという感じだと私は理解しているが,そういう状況も人によってあるようだ。

 そこから「ネットワークやコンピュータを使ってもう少し淡々と」という考え方が出てきた。つまり“淡いやりとり”が大事で,「つながってはいるが,べったりではない」感じにできないかを考えた。また,自動化しないともう無理で,人間がやれる限界を超えている側面もあるだろう。私はITがすべてだとは思っていないが,ネットワークやコンピュータ,非常に安定した電話網を駆使したら,役に立つ仕組みを作れるのではないかと考えた。

 堂垂先生に松戸の高齢者の方やそのご家族,自治会などいろんな人に声をかけてもらって,意見を聞いたところ,今回考えた仕組みが「できるといい」とする声は多かった。この手のシステムは得てして否定的な意見が多いが,松戸はずいぶん受容的だったと思う。「それならば実行に移して,問題点は修正していけばいい」という話になった。

どのように開発したのか。

 話がまとまったのは2007年5月。このシステムはPHPとフリーのデータベース,そしてターボ ソリューションズのIP-PBXソフトウエア「InfiniTalk」,そのオプションのIVR製品を使っている。プログラムを得意とする学生がいるので,ターボ ソリューションズに教えを請いながら,2~3カ月かけて基本的な画面設計から作り込んだ。高齢者の方の応答状態は,カレンダーに色分けして表示され,直感的に分かるようになっている。

 このIVR製品は様々な機能を持っており,使いやすく設計しやすいと思う。ただインバウンド用といえばいいのか,外部からの電話を受けて商品紹介をするコールセンターみたいな使い方はできる一方で,データベースに格納された番号から発信する機能は持っていなかった。そこでターボ ソリューションズに依頼して,自動発信する機能を受けもつ「オートコール」と呼ぶPHPのプログラムを開発してもらった。

 データベースはMySQLを採用している。それほど大掛かりなものではなく,氏名,電話番号,緊急時の連絡先などが入っている。ほかにISDN回線につなぐためのVoIPゲートウエイと,医師がメッセージを録音するためのIP電話機を使っている。

 ユーザー・インタフェースや「オートコール」プログラムにパラメータを渡して電話をかける部分などは,学生が開発した。どういうフローになっているかを記述したマニュアルも作ったので,教育上もよかったと思う。堂垂先生からは要望が多数上がってきたが,それもかなりの部分を盛り込めた。OJT(on the job training)的な取り組みでもあった。

電話をかける頻度は。

 本人の希望をベースに,1週間に1回は必ずかけるようにしていた。1日を5つのスケジュールに分けて,いつ電話してほしいかを聞き取りして,それをシステムに登録していた。今度は1週間1回に統一しようという話をしている。

 1日1回では多すぎ,1カ月に1回では見守りにならないなど,考え方はいろいろある。このシステムが緊急時に対応できないことは自明だ。何かあったら救急車を呼ぶしかない。要は心の問題。こういう仕組みがあると生活していく中で安心感を得られる。

使い始めてから修正したところはあるか。

 見かけはプッシュ式だが出ている信号はダイヤル式という電話機があった。「電話には出たが何も操作してない」という状態になる方がいたため,本人に確認したところ「間違いなくボタンを押したのにどうなっているのか。システムのバグではないか」と怒られた。調べていくうちに,実は4割くらいの方がこの種の電話機を使っていることが分かった。

 そこで,最初に「*」を押すという方法に変更した。「*」を押すとダイヤル信号からトーン信号に切り替わるようになっているからだ。これで応答がないケースは減ったが,完全になくなってはいない。これは技術だけではなく,人の問題も絡んでいるからだと思う。

このシステムは地域の高齢者に受け入れられたか。

 フィールド・テストとして,堂垂先生のところでこのシステムを使い始めたのは2007年7月。10月から11月にかけて先生が利用者71人にアンケートをとったところ,総じて安心感を受けているとの結果になった。継続したいかという質問には,71人中64人が継続したいと回答。どう感じたかの質問には35人が「見守られている感じで安心できる」,25人が「一人暮らしには心強い」,3人が「あまり効果を感じない」,1人が「煩雑でついていけない」と回答した。

 堂垂先生によると,診療所に通っている期間が2~3年で比較的付き合いが浅い人は辞めていくケースが多く,10年来20年来と世話になっている方は継続と答えたという。先生からは,継続したいと言っていただいた。最終的には決まっていないが,2008年度も実験することにしており,現在も継続中だ。

ほかの医療機関や大学などに提供するのか。

 いろいろな地域で取り組みをできるようにするのが一番の目的なので,要請があれば協力したいと思う。これでもうけるつもりはない。外部への提供方法についての結論は出していないが,地域の学生や大学とうまくパートナシップを持ちこの技術を教えたり提供したりして,そこで発展させてもらうやり方は選択肢の一つだろう。我々は業者ではなく料金を取ってやっているわけではないので,メンテナンスまで面倒を見るわけにはいかない。「地域でボランティア・ベースでやってくれる方がいれば」という話になると思う。