「われわれの使命は,全世界60億人の内で,まだIT化の恩恵を受けていない『残りの50億人』にITをもたらし,彼らのポテンシャルを高めることです」--米Microsoftで産学連携活動を担当するCorporate Vice PresidentのAnoop Gupta氏は,同社の社会貢献活動の方向性をこう語る。米スタンフォード大学教授からMicrosoftに転じた経歴を持つGupta氏に,社会貢献活動の詳細を聞いた。(聞き手は中田 敦=ITpro編集)


 Guptaさんは今回,大学の取り組みを産業界にアピールするイベント「イノベーション・ジャパン2007」で基調講演を行うために来日し,Microsoftが日本で産学連携に積極的に取り組む意向を示しました(関連記事:「産学連携の目的は社会の発展だ」,米MicrosoftのGupta副社長)。まずは,Microsoftにとっての産学連携の目的について,教えて下さい。

米Microsoft<br>Anoop Gupta氏
米Microsoft  Anoop Gupta氏
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 Microsoftにとって,研究機関との協業は,重要な企業市民活動の1つです。短期的に見れば,Microsoftが研究機関を支援して優秀な科学者を育成することによって,Microsoft自身が優秀な科学者を雇用できるようになるでしょう。また,優れた製品を開発するアイデアが得られるかもしれません。しかしわれわれは,産学連携をもっと長い目で見ています。

 (アイザック・ニュートンが言うように)われわれは,科学という偉大な巨人の肩に乗って生きているわけです。社会全体が進歩することによって,Microsoftもメリットが得られると信じています。社会全体を進歩させることこそが,産学連携の目的なのです。

 Microsoftや同社の研究所「Microsoft Research」では,何人ぐらいの人が産学連携に関わっているのですか?

 具体的な数字は答えられませんが,Microsoft Researchに関していうと,ほとんどの研究者が,産学連携に何らかの形で関わっています。というのも,トップ・レベルの研究者にとっては,他の機関の研究者との交流が非常に重要になるからです。Microsoft Researchは非常にフラットな組織なので,研究者は他の研究機関と協業できるチャンスを,比較的自由に確保できるようになっています。

 Guptaさんは,スタンフォード大学教授からMicrosoftに転職し,Bill Gates会長の技術分野での助言役を務めた後に,Exchange Serverを含むユニファイド・コミュニケーション製品群の製品担当重役を経て,現在はまた研究部門に戻っています。Microsoftでは,製品部門と研究部門の間での人材交流は盛んなのですか?

 研究部門から製品部門への異動は,けっこうありますね。逆に製品部門から研究部門への異動は,あまり多くありません。Microsoft Researchは,基礎研究分野での実績も優れていますが,製品のアイデアを生み出しているという点でも特徴的です。イノベーションは重要ですが,アイデアを製品にして,たくさんの人に使って貰うことは,研究者にとっても喜びです。

 私も,研究部門から製品部門に異動して,学んだことがたくさんありました。特に「アイデアをビジネスに移す」という経験から多くのことを学びました。この経験は,研究部門に戻ってきてからも生きています。

 Guptaさんが産学連携を担当しているのは,元スタンフォード大学教授という経歴が買われたからでしょうか?

 そうでしょうね。私は大学にいましたから,大学に何が欠けているかをよく知っています。また企業に入ることで,大学の技術を製品化する手法を知りました。大学と企業を橋渡しする役割は,私に適任でしょう。

 そもそもGuptaさんはどうして,スタンフォード大学教授からMicrosoftに転じたのですか?

 (同席したMicrosoftのスタッフ)天気じゃないのは間違いないですね(スタンフォード大学のあるシリコンバレーは非常に天候が良いことで知られている。一方Microsoftのあるシアトルは,雨が多く,全米で最も日照時間が短いと言われている)。

 実は私は,スタンフォード大学にいるときに「VXtreme」というストリーミング技術を手がけるベンチャー企業を起業したのですが,その会社が1997年7月にMicrosoftに買収されたのです。

 私は,スタンフォード大学学長のJohn Hennessy氏(MIPS Technologiesの創立者)と共に「Stanford DASH multiprocessor」の開発に関わっていましたから,Hennessy氏からは「とりあえずMicrosoftに2年行ってみて,いつでもスタンフォード大学に戻ってきていいよ」と言われていました。それでも実際にMicrosoftで過ごしてみると,ここが非常に優れた職場だと分かりましたので,その後もMicrosoftにいるのです。

 最近Microsoftから,野心的な「ビジョン」を聞く機会が減りました。これについて,Microsoftの技術戦略を立案しているGuptaさんはどう思われますか?

 われわれは現在,「ソフトウエア+サービス」というビジョンを掲げています。かつては「パソコンをすべての職場と家庭にもたらす」ことが,Microsoftのビジョンでした。この方針は変わりませんが,現在,ITの複雑さが中小企業や教育機関にとって問題になっています。ITを単純化するのが「ソフトウエア+サービス」であり,これこそがわれわれのビジョンです。

 残念ながら私には,「ソフトウエア+サービス」が(社会を一変させるような)「破壊的なイノベーション(Destructive Innovation)」だとは思えません。

 われわれは今,「アンリミテッド・ポテンシャル・グループ(限りない可能性を秘めた人たち)」と呼ばれる人々に注目しています。現在,全世界には60億人の人が暮らしていますが,ITを利用しているのは10億人に過ぎず,残りの50億人はITの恩恵を受けていません。しかし,ITを使っていない彼らには,限りない可能性が秘められているとも言えます。

 われわれの使命は,ITをまだ使っていない50億人の人々に,ITを届けることです。Microsoftは企業や家庭にパソコンを普及させることで,多くの人々のポテンシャルを高めてきたと自負しています。これからも,ITによって世界中の教育や医療の水準を向上できると信じています。ソフトウエア+サービスは,彼らにITを届けるためのビジョンでもあります。それでも,イノベーションではないと思いますか?

 貧困層にパソコンを普及させる取り組みとしては,マサチューセッツ工科大学が主導する「OLPC(The One Laptop Per Child)プロジェクト(いわゆる100ドルPC)」のようなLinuxベースのソリューションもあります。

 100ドル・パソコンも面白い取り組みですが,Microsoftとしては,より信頼性のあるソリューションを提供したいと思っています。われわれが貧困層向けの取り組みで重視しているポイントは,(1)アフォーダビリティ(Affordability,値頃感はあるか),(2)レリバンス(Relevance,関連性があるか),(3)サステナビリティ(Sustainability,持続可能性があるか)--という3つです。

 アフォーダビリティとは,どれだけコストを下げられるかと言うことです。Microsoftもこれを重視しており,1台のパソコンを複数の児童が使えるようにするマルチ・ディスプレイのサポートや,中古のパソコンを活用する「リフレッシュPC」などの取り組みを重視しています。

 リレバンスとは,技術を習得することが,就職や良い暮らしに繋がるかどうかということです。ExcelやWord,PowerPointはビジネスにとって不可欠のツールになっており,これらが使えることで,就業のチャンスが広がります。

 例えばフィリピンの高等学校では,(2学期制の)第1学期には英語と第二外国語を学び,第2学期ではパソコンを学んでいるそうです。外国語とパソコン学習が,同じ比率を占めているのです。それだけパソコンの技能が,就職の役に立つと認識されているのです。

 もう1つ,フィラデルフィアのスラム街にある学校における取り組みを紹介しましょう。この学校では,全ての児童がパソコンを使って,コンピュータのスキルを学んでいますが,児童が彼らの親にパソコンの使い方を教えられるようになることで,親の就職機会が広がったといいます。

 最後のサステナビリティについて説明しましょう。コンピュータの世界を構成しているのは,ハードウエアだけではありません。コンピュータを普及させるには,ソフトウエアを開発してくれるパートナーが不可欠です。また,ハードウエアに問題が起きた際に,それを直してくれる人々も必要です。ソフトウエアや修理サービスを提供できるエコ・システムが存在して初めて,コンピュータは持続可能(サステナブル)になるのです。

 100ドル・パソコンはインスピレーションを与えてくれるデバイスですが,こういったソリューションが存在するでしょうか。信頼性のあるソリューションを実現するためには,ハードウエアだけでなく,これら3つのキーワードに代表される要素が必要だと考えています。