しかし,分権型社会が誰にとってもより良い社会であるとは限りません。

 分権的な市場社会は,ある種の警察国家になるおそれがあります。日本の人口あたりの公務員数は欧米に比べて少ない。日本は既に小さな政府なのですが,なぜそれが可能なのかというと,日本の政府はある種の間接統治をしている。例えばインサイダー取引の基準が変わったというようなとき,昔だったら大蔵省が証券業協会に通達を1本出せば,彼らが会員企業に通知して自主規制する。いわば「卸売」のガバナンスができるので効率が高い。

 ところが市場社会になると,ライブドアや村上ファンドみたいに新しい企業がどんどん出てきて,お上が言っても聞かないから,マーケットを常に監視して直接統治しなければならない。日本の証券取引等監視委員会のスタッフは340人ですが,米国のSEC(証券取引委員会)は約3000人。これだけのコストをかけなければ市場を統治できない。分権型の社会は,公務員の数でいえば小さな政府になるとは限らないのです。

 いままではコンセンサスに基づいて「性善説」で運営されてきた社会が,互いを監視する,ある種のとげとげしい社会になる。しかし在来型のシステムを守っていたら,特に製造業では中国の追い上げを受け,ITでもインドに抜かれるかもしれない。これは深刻な選択です。当然,追い抜かれてもいいから,今までのようにのんびりやりたいという人もいるでしょう。

 しかし私は,そういう道はないと思います。1990年代の10年間,日本の実質成長率は年平均1%ほど下がっただけでしたが,世界の終わりが来たような騒ぎでした。まして,これから労働人口が減るので,今までどおりにやっていては成長率はマイナスになる可能性もあります。一人当たりの労働生産性を上げないと,今の生活も維持できないのです。

自律分散社会での避けられないコスト


池田信夫氏
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 サイバースペースでは,別の問題もあります。これまでのように印刷機や放送局が希少な世界では,そういう設備を権力の介入から守る「表現の自由」が重要でしたが,今ブログなどで問題になっているのは,だれもが「印刷機」(パソコン)を持って情報を発信できるため,自由が過剰になっていることです。

 ここで希少になっているのも,個人の時間(関心)です。あまりにも質の低い情報が氾濫し,しかも他人を罵倒するメッセージが多いので、2ちゃんねるやブログは読まれなくなる。このように群れをなして他人を罵倒する連中を私のブログで「ネットイナゴ」と書いたら,そのエントリには,1日で過去最高(3万6000以上)のアクセスがきました。こういった誹謗中傷も,ある程度は自律分散社会での避けられないコストでしょう。

 Wikipediaの創設者ジミー・ウェールズと話した際,彼は日本では匿名IPでの書き込みが多いと言っていました。Wikipediaでは匿名での書き込みも許されていますが,それは本来例外的なものです。しかし日本では匿名IPが圧倒的に多い。なぜ多いのか,ウェールズ氏は2ちゃんねるの影響だろうと言っていました。日本のネットユーザーは2ちゃんねるに慣れているせいで,他人を誹謗中傷する心理的コストが非常に低い。

 匿名の誹謗中傷が多いことの弊害は,非難されることに嫌気がさして専門家が書かなくなることです。その結果,日本のブログには,プロフェッショナルな情報源が数えるほどしかない。こうした匿名の投稿を禁止しようと思えば,韓国のように住民番号を登録しないと投稿できないように法律で規制するしかありませんが,日本では合意を得られないでしょう。自由の過剰な世界で,価値のある情報だけを提供して時間を節約してくれるサービスが,今後のWebサービスとして重要ですね。


池田 信夫
1953年生まれ。東京大学経済学部を卒業後,NHK入社。報道番組の製作に携わり,93年に退社。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士過程中退。国際大学GLOCOM教授,経済産業研究所上席研究員などを経て,現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。学術博士。著書に「技術情報と組織のアーキテクチャ」(NTT出版),「電波利権」(新潮新書),「ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている」(東洋経済新報社)など。
池田氏のブログ「IT & Economics」