池田信夫氏
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以前の著書「ネットワーク社会の神話と現実」では,主権国家という概念も実は歴史上比較的新しい概念であり,インターネットにより変容を迫られていると指摘されています。

 今のような主権国家(領土国家)は,17世紀にできたもので,ほぼ資本主義と同時に誕生した制度です。一定の領土の中で,国家が武力を独占して財産権を守ることは,資本主義の発達には不可欠でした。

 この制度には人間が一定の領土の中に物理的に閉じ込められているという前提がありますが,ジョン・ペリー・バーロウも言ったように,サイバースペースには領土はありません。したがってそこでは,だれかを国外に追放したり牢獄に閉じ込めたりして処罰する法的秩序がうまく機能しないのです。

 もちろん法的秩序がなくなるわけではありません。例えばKazaaは著作権侵害の訴訟から逃れるために本社をさまざまな国に移転し,南太平洋バヌアツにまで移したが,完全に国家から逃げおおせることはできませんでした。また電子商取引も,財産権の保護が徹底している欧米や日本などでしか発達していません。サイバースペースのインフラとして,国家は必要です。

資本主義の変質とともに「国のかたち」も変わらざる得ない

 しかし現在の中央集権的な政府は,集権的な工場システムの成立と時代的にも重なっている。資本主義が変質する以上,「国のかたち」も変わらざるを得ない。例えば,いま年金が問題になっていますが,名寄せの問題より根本的なのは,そもそも国家が個人の老後の年金を管理する必要があるのかということです。経済学の答はノーです。各人が老後のために積み立てて運用すればよい。無年金者が問題なら,法律で年金への加入を義務付ければいいだけです。

 しかし現実には,日本の年金制度を民営化することはできません。年金会計が800兆円とも推定される巨額の赤字を抱えているからです。すなわち,中央集権型の社会が破綻しかけており,霞が関の官僚の仕事は,その崩れかけたシステムをとりつくろうことしかなくなっている。

 私は経済産業省が2001年に設立した経済産業研究所(RIETI)に3年在籍していました。RIETIの目的はまさに,こうした状況で霞が関をどう改革するかということでした。しかし客観的な政策評価を行えば行うほど,この政策はいらない,この政策はやめたほうがいい,という結論ばかり出てきます。特にいらないのが経産省の仕事で,そういう結論を論文などで発表すると,経産省幹部の怒りを買い,彼らは青木昌彦所長以下の改革派スタッフを追い出してしまった。

 経産省がなぜ(ブルドック・ソースに買収提案した)スティール・パートナーズをあれほど嫌うかと言えば,スティールが経産省のライバルだからです。かつて業界再編と称して通産省が企業の合併や買収を調整してきましたが,それは資本市場を通じて行われるのが当たり前になっています。経産省は自らの存在意義が失われていくことに焦りを感じている。だが,そのような官僚による調整こそが日本の産業を萎縮させているのです。

 IT産業はその典型です。世界の携帯電話市場で,日本メーカーのシェアは(海外と合弁のソニー・エリクソンを除けば)7%しかない。それなのに日本の携帯電話メーカーは9社もある。その原因は,第2世代携帯電話の規格を決めるとき,郵政省が既存の通信事業者だけに無償で電波を割り当て,しかも技術標準まで日本ローカルのPDCという方式に統一したためです。おかげで日本の携帯電話は世界の市場から遮断されているので,超高機能・高コストの製品ばかり開発され,世界の市場ではまったく通用しないが,キャリアが全量買い上げてくれるので,みんな仲よく共存できる。

 こういう状況を,海部美知さん(在米コンサルタント)は「パラダイス鎖国」と表現しました。世界第2位の大きな市場で,ほどほどにもうかるパラダイスに安住しているうちに,日本のIT産業はグローバルな競争に取り残され,韓国や台湾にも抜かれつつあります。

 これを何とかしようとして「日の丸検索エンジン」などの産業政策が出てきますが,これは逆です。これまで霞ヶ関が既存企業をグローバルな競争から保護し,ローカル規格を守ってきたことが現在の悲惨な状況をまねいたのです。特に悪いのは「ITゼネコン」と呼ばれるメインフレーム以来の調達構造によって,IT企業が製造業型の下請け構造に組み込まれていることです。霞ヶ関にできることがあるとすれば,こうした調達構造を解体し,グローバルでオープンな調達の模範を示すことでしょう。