インターネット上の論客として知られる池田信夫氏。近著「ウェブは資本主義を超える」ではWeb 2.0からNGN,著作権,従軍慰安婦まで幅広いテーマについて,通説の誤りを突く本質的な議論を展開している。池田氏が指す資本主義とは何か,Webはなぜ,どのようにして資本主義を超えるのか。(聞き手はITpro編集 高橋信頼)


この著書では,ITから政治,経済,文化に至る様々な問題が俎上に上げられています。その中で「ウェブは資本主義を超える」をタイトルにされた理由は。


池田信夫氏
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 書籍のタイトルというのはなかなか決まらずに最後までもめることが多いのですが,この本の場合は執筆段階からほとんど決まっていました。

 一つには,インターネットと資本主義がある意味私のブログの一貫したモチーフだったということがあります。私は団塊の世代のすぐ下の世代で,学園闘争が終わっていて,バリケード封鎖が解かれ,いわば祭りの後に大学に入学したわけですが,それでもマルクス主義の影響はものすごく大きく,その後もモノを見る物差しになっている。

 現実には社会主義は成功せず,団塊の世代はマルクス主義についてあまり語ろうとはしません。しかしマルクスの描いた未来像というのは,良くも悪くもそれほどユニークなものではなかった。産業資本主義の勃興期にその矛盾を目の当たりにしたマルクスが,私有財産を廃止して資源をみんなで共有するコミューンをめざしたのは,いわゆる空想的社会主義者たちとほとんど同じです。

 こうしたコミューンは,新しい思想でもありません。それどころか,人類はその数十万年の歴史の99%以上を小規模なコミューンで暮らしてきた。だから,たぶん私たちの脳には「コミュニズムの遺伝子」が組み込まれているのです。しかし,こうしたコミューンは産業革命以降,姿を消し,私的な欲望や財産権を肯定することが「近代化」なのだ,ということになった。コミューン的な試みは,宗教的な共同体のようなものに限られ,大規模な社会を統治するしくみとしては機能しないユートピアだと考えられてきました。

 そしてインターネットは,そうしたユートピアの最新のバリエーションであると言えます。オープンソース・コミュニティはその典型ですが,インターネットそのものがコミューンです。TCP/IPのプロトコルもHTMLも誰も特許をとっていない。インフラや情報は全員のものだという思想に基づいている。こうしたユートピアは,近代ではみんな挫折してきたのですが,インターネットは今のところ成功しているように見える。

インターネットはリアルに「ただ乗り」してユートピアを実現した

 なぜ成功しているように見えるのか,それは第一に,情報には希少性がないからです。すべてを共有する世界はは美しいけれども,それは資源が無限にある世界でだけ可能です。リアルな世界では実現できない。働かないで他人の労働に「ただ乗り」する人が出てくるからです。しかし,情報はどれだけ使っても減ることはない。だからネットの上ではユートピアを実現することができたのです。

 もう一つの原因は,インターネットがリアルな世界に「ただ乗り」してきたからです。情報は無限に消費できますが,それを伝えるインフラは有限です。しかし初期のインターネットは、既存の電話網という巨大なインフラに「寄生」できたので,インターネットのための投資というのは,それほど大きくなかったわけです。

 ただここへ来て,ブロードバンドがインターネットの物理的な限界をあらわにして,ユートピアの存在を脅かしつつある。動画配信はトラフィックもさることながら,サーバーの負荷もものすごく大きい。そのためにニコニコ動画も有料会員制度を作らざるを得ない。誰もが等しく共有するという理想が維持できなくなっている。

 Webブラウザが生まれてから15年。インターネットにも「幼年期の終わり」が近づいているのではないか。しかし,それは昔の資本主義に戻るということではありえない。JoostのようなP2Pによる動画配信も出現しているし,Googleのように情報をオープンに組織化することがビジネスになり始めている。両方に共通する特徴は,情報の対価として金を取るのではなく,広告のような形でビジネスを成立させていることです。これは資本主義の普通のビジネスとは違いますね。それがどこまで大きくなるかは,まだわかりませんが。