人は,何らかの被害が予想される状況でも「自分は大丈夫」と思ってしまいがちだ。防災研究家で群馬大学工学部教授の片田敏孝氏は,人のこのような心のあり方を「正常化の偏見(normalcy bias)」と呼ぶ。人々を守るべき「防災専門家」や「セキュリティ専門家」は,正常化の偏見にどう向き合うべきだろうか。

 片田氏は「自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価したりしてしまう人の特性」のことを言う「正常化の偏見」を,「極めて人間らしい特性」と指摘する。不安をある程度無視しなければ,人間は生きていけないからだ。

 しかし,リスクを完全に無視していいわけではない。片田氏は「日本人は,リスクとコミュニケーションしているのだろうか」と問いかける。4月25日の「RSA Conference 2007」(東京)でも「人はなぜ危機に備えないのか」という講演を行う片田氏へのインタビューの後編である(前編:人はなぜ「自分は大丈夫」と思うのか,防災研究家の片田群馬大学教授に聞く(前編))(聞き手は中田 敦=ITpro)。



人には「自分は大丈夫」と考える「正常化の偏見」があるというのが片田先生の主張ですが,この偏見を克服するためには,どう対処したらいいのでしょうか?

 
  片田敏孝氏
 私は「正常化の偏見」が悪いことだとは思っていません。人間は,リスク情報をまっとうには理解できません。それは,人間の心がうまくできているからです。人間,考えれば心配事だらけです。極論すれば,町を歩いていて隕石に当たって死ぬことだってあるわけです。

 つまり,あれもこれも心配していたら生きていけないわけです。だから,良い情報はポジティブに評価し,悪い情報を無視する。そういった情報処理に関する非対称性,つまり「正常化の偏見」は,とても人間らしいものだと思っていますし,人間とはそういうものだと認めるべきだと思っています。

 しかし,「もし何も備えなかったときに,何が起こるのか」「逃げないことで,何が起こるのか」だけは,正しく理解してもらわなければなりません。

「警報の空振り」を「良かった」と思えるように

 津波防災は今,「警報の空振り問題」に直面しています。北海道では,2006年11月15日と2007年1月13日に,大きな地震が起こりました。2006年11月15日に地震が起こって津波警報が出た際は,北海道における住民の避難率は13.2%と低調でした。しかし,2007年1月13日に再び地震が発生して津波警報が出た際には,避難率は6.6%とさらに低下してしまいました。

 この帰結が,何をもたらすのでしょうか。きっと今後も何回も「逃げなくて良かった」と思う「警報の空振り」が発生し続けるでしょう。しかしいつか最後には,本当に津波が来て「逃げておけば良かった」と思う日が来ます。今日警報が外れて住民が「逃げなくて良かった」と思うことは,将来被害に遭うことに直結しているのです。

 だから,警報が外れる可能性があったとしても,われわれにできることは逃げることしかないのです。もし警報が空振りになったとしても「予報が外れて良かった」と思うしかない。そう思い続けることで,いつか津波が来ても「逃げて良かった」と思える日が来る。これが津波防災なのです。

 そのためには,警報の空振りがあったときに「逃げなくて良かった」と思ってしまう自分を知って,その心に向き合うことが欠かせません。