Wikipedia創始者のジンボ・ウェールズ氏
Wikipedia創始者のジンボ・ウェールズ氏
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 ネット上の百科事典として人気を高める「Wikipedia」(ウィキペディア)。その創始者であるジンボ・ウェールズ氏が来日し,3月18日,東京都内で公開インタビューに応じた。

 ウェールズ氏はWikipediaの目的や背景にある考え方などに加え,「小さい頃に百科事典を読み切った」など,自身のエピソードも披露。Wikipediaのページなどでインタビューの開催を知った数十人の参加者が,熱心に耳を傾けた。参加者の中には実際にWikipediaで記事を書いている人もいた。3時間以上に渡った公開インタビューのハイライトを紹介する。

米ミドルベリー大学の試験で,Wikipediaの誤記を引用した誤答があったことについて。

 このミドルベリー大学のニュースで興味深かったのは,私が常日頃から思っていることと同じ観点を大学側が提示したことです。つまり,学生はWikipediaを引用するのではなくて,Wikipediaの記事を調査の出発点にすべきだ,ということです。

 学術研究の目的はジャーナルや本を出版すること,ジャーナリズムの目的はニュースを報道することです。学術研究は新しい知識を形成し,新聞や雑誌などのジャーナリズムは新しい情報を生み出します。

Wikipediaはあくまでもスタート地点

 一方,Wikipediaは異なります。Wikipediaは既に存在する情報を分かりやすく要約し,提示することが目的です。Wikipediaの改良が続けられ,完全な百科事典になったとしても,学生にとってWikipediaはあくまでもスタート地点であって,そこから調査を発展させてゆくべきです。

 Wikipediaはあくまでも「知識の要約」であるべきなのです。

運営と独立性について。

 運営コストの削減は常に重要なことです。と同時に,独立を維持することも重要です。過去に,ある大手の検索エンジン会社から,Wikipediaのすべてを無料でホスティングします,という申し入れを受けたことがあります。しかし,一つの大きな会社からだけ支援を受けることは,良くないことだと思いました。

 私たちは「Googlepedia」や「Yahoopedia」,「2ちゃんねるpedia」(会場から笑いの声)にはなりたくないのです。あくまでもWikipediaとして存在したいのです。

 ただ,韓国のYahoo!からサーバーの寄付を受けたことはあります。こういったことは大切です。しかし,もしYahoo!の方からYahoo!に関する記事を変えて欲しいといった申し入れがあったら,それは「グッバイ」ですね。

Wikipediaの前に従事していたプロジェクト「Nupedia」が失敗した理由について。

 知らない方がいると思うのでNupediaの歴史を説明します。Nupediaは非常にコントロールされたトップダウンのアカデミックなシステムでした。一つの記事を公開するまで7回の査読がありました。

 なぜ失敗したかというと,参加するのが難しかった,そして面白くなかったのが理由だと思います。

Wikipediaの開始直後は眠れなかった

 Wikiを発見して,Wikipediaを始めたとき,2週間くらいはほとんど眠れませんでした。(WikipediaがNupediaと異なり自由に記事を記述できるシステムなので)私が寝ている間に誰かがWikipediaを破壊してしまうのではないかと思ったからです。

Wikipediaのゴールについて。

 ゴールはこの地球上に住んでいる人のためにすべての言語で百科事典を作ることです。現在,英語,ドイツ語,フランス語,オランダ語,ポーランド語,日本語の6言語に関しては25万件以上の記事があり非常に充実しています。一方,中国語の記事はまだ10万件に過ぎません。

 また,ベンガル語やウルドゥ語,スワヒリ語のように世界中で多くの人に話されているのに,Wikipediaの記事が非常に少ないものがあります。Wikipediaの将来に関しては,これらの言語について考えています。そういった言語を話す方に参加していただいて,記事を書いて欲しいと思っています。

日本語版Wikipediaでは小中学生が活躍しています。エールを送って下さい。

 (日本語で)がんばって!

来日の目的について。

 2週間前に日本に来て,今後も2週間いますから,全部で4週間滞在します。来日の第一の理由は「Wikia」(ウェールズ氏が立ち上げたWikiの無料ホスティング・サービスを提供する会社)のプロモーションです。

 また,私の奥さんは日本人とのハーフで日本生まれです。娘は6歳なのですが,日本の親戚を訪ねたり,日本の文化を学ばせたいと思います。今,私が日本語を話すと,娘が間違いを指摘してくれます。

日本のWikipediaにはサブカルチャーの記事が多いことについて。

 英語版のWikipediaでもサブカルチャーの記事はたくさんあります。日本のサブカルチャーは米国のギーク(オタク)の間で人気があります。ですから,それが問題だとは思いません。ただ,ビデオゲームのキャラクターの説明が国家元首の説明よりも長いのはちょっと奇妙だとは思いますが。

 Wikipediaというのは参加している人々の関心を反映します。今後規模がもっと大きくなることで,記事のバランスが取れてゆくでしょう。

初期の段階でWikipediaが大きくなった原動力について。

 一つは中立のポリシーを掲げたことによって,多くの人が参加できたことです。プロジェクトは当初から多くのボランティアが必要であると分かっていました。ですので,どんな人でも受け入れるというポリシーを明確にしていました。

自分自身や子供時代,人生の信念について。

 (日本語で)ジンボ・ウェールズです。アメリカ人です。私の日本語上手ではありません。オタクです。

 (英語に戻って)8年前に日本語を1年間勉強しました。子供のころは風変わりで,好奇心旺盛で本をたくさん読みました。私はちょっと普通とは異なった教育を受けました。幼稚園から8年生までクラスにたった4人しかいないという,とても小さな学校に通いました。その頃,読みたいものを読む自由な時間がたくさんあったので,百科事典を読み切りました。

 人生の信念はたくさん持っていますが,「reason」(良識)と「friendliness」(親切)に集約されると思っています。

記事執筆者,特に管理者レベルの人のプロファイルについて。

 私は世界中を旅して多くのWikipediaの会合に出席しているのですが,典型的な「Wikipedian」(記事執筆・編集者)は世界中で共通しています。多くは20代後半か30代で,大学を出ていて,専門的な職業に就いています。また,学生や退職した人,大学の教授なども参加しています。

 典型的なWikipedianとは言えませんが,10代の若い人も一部にいます。彼らはとても優秀なWikipedianです。百科事典の記事を書くという趣味は,他の10代の興味と比べて成熟したものだと言えるのではないでしょうか。

他人との協力,最重要のスキル

 Wikipedianは非常にフレンドリーなコミュニティです。もっともそれは当然で,そういう仕組みでWikipediaを作っているからです。良いWikipedianは多くの記事を書き,そして他の人たちがそれを修正してゆきます。そういう作業は人と協力することや,やさしくあるということにつながるものです。

 ブログでは敵意があって激しい人でも有名ブロガーになれます。有名ブロガーになるには,文章が上手く,強い主張があり,面白いことが書けなければいけません。有名ブロガーになるスキルとして,他人と協力することは二次的なものです。一方,Wikipediaでは他人と協力することが最重要です。

日本人Wikipedianについて。

 (Wikipediaを運営する)ウィキメディア財団の国際コミュニティーに,もっと多くの日本人の方が参加して欲しいと考えています。日本語版のWikipediaは非常に大きく重要なものですが,時として孤立しています。その原因の一つは日本語という言語の問題でしょう。しかし,Wikipedianというのは非常に親切で優しい人たちなので,英語力に自信がなくても問題ありません。

  【修正履歴】当初,記事前半部分の「Wikipediaはあくまでも『知識の要約』であるべきなのです。」の後に「私は外部へのリンクなどがしっかりと書かれていない記事を好みません。」との一文がありましたが,翻訳ミスであることが判明したため削除しました。お詫びして訂正いたします。(2007年3月22日)