持ち運びは難しかった「ラップトップ」の時代

 1970年代後半に登場したパソコンを持ち運び可能にする試みは、早くからあった。例えば、米オズボーン・コンピューターは、キーボードとディスプレイ、本体を一体化した可搬型コンピューター「Osborne 1」を1981年に発売。ただし重さが10.7kgもあった。パソコンのフル機能が、持ち運びに適したサイズや形状になるには、さらに数年が必要だった。

 1980年代前半には、画面を小型化した「ハンドヘルドコンピューター」がいくつか登場する。中でも、エプソン/諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が1982年に発売した「HC-20」は約25万台を販売するヒット商品になった(図1)。一時はNECや米タンディ、キヤノン、ソード(現・東芝パソコンシステム)なども参入した(図2図3)。

●用途が限られていた「ハンドヘルドコンピューター」
図1 エプソン/諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が発売したハンドヘルドコンピューター「HC-20」。記録媒体であるカセットが右上に、プリンターが左上に付いている。重さ1.6kg。バッテリーで約50時間利用できた
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図2 NECが発売した「PC-8201」(写真は海外向けの「PC-8201A」)。240×64ドットのモノクロ液晶ディスプレイを搭載していた。重さは1.7kgで、単3形電池4本で18時間駆動した
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●ポケコンと並んでハンドヘルドを紹介
図3 1984年10月15日号の特集「携帯パソコン活用術 急速に拡大する実務への応用 ユーザー、メーカーとも取り組みに本腰」では、ハンドヘルドコンピューターやポケットコンピューターを業務に活用している事例を紹介した
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 しかし、ハンドヘルドコンピューターは「プログラムを書ける人しか利用できず、一般ユーザーには広がらなかった」(エプソン販売取締役ビジネス営業本部長の斉藤章氏)ため、コンピューター好きの上級ユーザーが一通り購入すると、やがて姿を消した。

 一般的なビジネスパーソンが移動先で文書作成や計算をする用途には、小型化と低価格化が進み始めたワープロ専用機の方が使われていた。

●初期のハンドヘルド、ワープロ、ラップトップの主な製品
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