「DOS/V」登場、98時代に終止符
1990年、安泰に見えた98時代に暗雲が立ち込め始める。「DOS/V」の登場である(図1)。
DOS/Vとは、米IBMのOS「PC DOS」に、日本IBMが日本語処理機能を追加したOS。漢字ROMや日本語用グラフィックスボードといった専用のハードウエアを使わずに、日本語を使えるようになる(図2)。つまり、ソフトウエアだけで日本語処理を実現するので、海外で広く使われているPC AT互換機で日本語を使えるようになるのだ。
とはいえ、DOS/Vが登場した当時は、それほど注目されなかった。DOS/Vは最初、日本IBM製パソコン「PS/55」シリーズ1機種用のOSとして提供され、その可能性に気付く人は少なかった。
しかし1991年になると、急速に普及していく。日本IBMは「PCオープン・アーキテクチャー推進協議会(OADG)」を設立。DOS/Vパソコンを作るための情報を、OADGに参加するメーカーに公開した。
OADGには、NECを除く大手パソコンメーカーのほとんどが参加した。富士通やソニー、日立製作所、松下電器産業(当時)に加えて、AX連合に参加していたシャープなども合流。AXの流れはDOS/Vに集約された。