日経パソコンの創刊は1983年10月。その頃、パソコン市場はまだ小さく、国内の年間出荷台数はようやく約90万台に到達したところだった。現在の10分の1以下の規模である(図1)。
1977年に米アップルコンピュータが初めてパッケージされた個人用コンピューター「アップルII」を発売して以降、日本国内でも日立製作所、NEC、富士通などが競って8ビットパソコンを投入。80年代初頭まで、マニアを中心としたユーザーが趣味としてパソコンを利用する時代が続いた。しかし、1982年秋にNECが高性能な16ビットパソコン「PC-9801」を発売したことで、ビジネスでの利用が広がっていった。
普及への歩みを始めたパソコンは、以後、3つのステージを上り「個人の必需品」へと発展していく。
最初のステージはアーキテクチャーの統一だ。80年代半ばから90年ごろにかけては、当時国内で圧倒的な覇権を握っていたNECのPC-9800シリーズに対して、各社の対抗機が乱立するという構図だった。やがてNEC以外のメーカーが、事実上の世界標準ハードウエア仕様となっていたIBM PC AT互換機(DOS/V機)の陣営にまとまっていく。これにより、DOS/V陣営のパソコンの生産効率は上がり、価格は下がり、ソフトウエア資産は増えていった。その勢いに抗しきれず、97年、NECも独自アーキテクチャーを捨てることになる。
また、米マイクロソフトが93年に発売したGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)ベースのOS、Windows 3.1がヒットしたことで、アプリケーションソフト面での機種間の違いが大部分取り払われた。