日本のトラディショナルな企業、特に大企業にとって、新たなビジネスを生み出すことは難しい。特に動きの速いIT分野ではなおさらである。これはよく言われることだが、もちろん正しい。実際この分野でイノベーティブな企業と言えば、アップルやグーグルなどの米国企業、それに日本企業の中では楽天を筆頭にしたベンチャー企業がほとんどだ。では、なぜ日本のトラディショナルな企業で新しいことができないのか。

 よく理由として挙げられるのは、「組織の壁」とか「硬直化した組織」とかいった話だ。新規事業が既存事業とカニバルため、既存の事業部門が抵抗するとか、組織間の調整に時間がかかるとか、新規事業に必要な人材を事業部門が出そうとしないとか、もっともらしい理由をしたり顔で話す人は多い。その結果、時を逸して、それこそ“爆速”で新たなビジネスを生み出すベンチャー企業などに名を成さしめるというわけだ。

 しかし、こうした理由は、現状ではあり得ない一種の都市伝説にすぎない。あるいは時代遅れの認識と言ってもよい。一昔前の新規事業、あるいは非IT分野の新規事業なら、投資規模が大きく、失敗すれば既存事業や経営への打撃もそれなりにあるため、事業部門が抵抗したり、経営が逡巡したり、会議に無駄な時間を取られたりした。だから組織の壁などが大きな障害になったことは否めない。

 しかし、ITを活用した今の新規事業は小さく始めるのが基本。いわゆるリーンスタートアップだ。クラウドやソーシャルメディアなど使えるITインフラがあるので、初期投資は比較的小さくて済む。ただし、成功確率は思いっきり低い、まさに「千三つ」(千に三つぐらいしか成功しない)の世界。だから小さく始めて、何度も失敗を重ねて経験値を増やし、ビジネスモデルやビジネスプロセスを修正しがら、事業を育てていく。

 しかし、こうしたリーンスタートアップのやり方だと、大企業などの社内では誰も気に留めない。既存事業とカニバルから事業部門が抵抗するどころか、まさに逆で新規事業の担当者は社内の圧倒的な無関心に苦しむことになる。実は、大企業をはじめとする日本のトラディショナルな企業において、ITを活用した新規事業を難しくする本当の理由はここにある。

 企業の規模や業態にもよるが、初年度の売上が数百万円など論外、1億円程度を見込めたとしても、社内の営業部隊は「うちがやるような規模の商売ではない」としてまともに売ってはくれない。結局、新規事業の担当者だけが、しかも下手をすると既存事業との兼務の形でビジネスの立ち上げに奔走しなければならなくなる。「ここぞ」というタイミングに必要なリソースを投入できないから、せっかくの新規事業をスケールさせることができず、担当者が疲弊しただけで終わってしまうことになる。

 少し前の話だが、2000年前後のネットビジネスブームの頃を思い出してもらいたい。多くの企業がインターネットを活用した新たなビジネスに取り組んだ。ITベンダーならASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)、ユーザー企業ならEC(電子商取引)だが、担当者が頑張るだけで、社内のほとんどが無関心だった。当然、全社的な支援が得られず、そのほとんどが失敗した。そして今ツケが回ってきて、グーグルやアマゾンの巨大化に慌てふためくという情けない状況となった。

 もちろん、全社的な支援が得られることもある。経営トップが新規事業の創出を最重点課題として位置付け、経営トップの直属プロジェクトなどとして推進するようなケースだ。それこそ、我も我もと社内は皆、協力する。だがその場合、その企業の事業規模にふさわしいスケールのビジネスにしなければいけないということで、3年後の売上目標が恐ろしいことになる。ある大手ITベンダーの担当者は、経営トップから「売上100億円の事業にせよ」と言われて愕然としたという。

 もちろん売上1兆円の企業なら、100億円という目標は当然と言うよりも、むしろ少なすぎるかもしれない。だが、成功するかどうかも分からない事業に、最初から過大な目標を義務付けると、おかしなことになる。まず、新規事業の仕事の大半が社内会議になる。本来ならスピーディーに動かなければならないのに、「どうしたら大きな売上をつくれるか」を巡って机上の空論ばかりが会議で検討され、貴重な時間を空費してしまう。

 次に、売上目標の偽装が始まる。つまり、既存事業の売上を新規事業に忍び込ませるのだ。その典型例は、クラウドやビッグデータといったITベンダーの新規事業だ。大手なら売上数千億円といった威勢の良い目標を語るが、その中身を見るとストレージやSIなど既存事業の売上が含まれていたりする。そして3年目に仮に目標を達成できたとしても、本来の新規事業の売上はほとんど存在しないという無意味な結果に終わってしまう。

 そのようなわけで、いわゆる「ビジネスのデジタル化」の影響をモロに受けビジネスモデルを変えなければ生き残れないような企業を除けば、日本のトラディショナルな企業が社内でITを活用した新規事業を生み出すのは無理がある。結局のところ、新規事業は別会社として切り出し、自由に動けるようにするのが正解だ。この原則だけは今も昔も変わらない。